かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

出来事に人格を重ねない

業務もずいぶん板についてきて、実験も元の通りこなせるようになってきました。そうなると顔を出すのが、私の中の完璧主義的な部分です。大半のことは受け流せるのですが、研究に絡むことがいい加減になっていると苛々してしまうのです。

 

機器のエラーメッセージが出ているけど大丈夫そうだから対処しない、計測装置が汚れて機能しなくなっているのになぜか放置されている、備品の発注が漏れている、など、すぐには困らなくても後で痛い目を見ることが時限爆弾のようにあちこちに埋め込まれています。気付くとげんなりしてしまいます。

 

皆忙しいし、保全的な業務は目の前の緊急の業務と比べて優先順位が下がりがちなのですよね。きっと自分も、知らないところで誰かに迷惑をかけているのだと思います。

 

昔は本当にこの状況が許せなくて、何なら犯人探しをして問い詰めてやりたいとまで思っていました。ただ今は、まだ気持ちに余裕があるせいか、そこまでの怒りを感じることは少なくなりました。よろしくない出来事を起こした人が、わざとそうしている訳ではないと素直に思えるようになったのかもしれません。

 

出来事は出来事として、それと人格は切り離して考えたほうが上手くいく気がします。そうすることで、対応する気力を維持できるように思います。あの方法が駄目だったから別の方法を試そう、という試行錯誤の気持ちは、誰かを悪者と思っている限りは持ち続けることはできません。仕組みで解決とはよく言われますが、仕組みを作るのにも労力が掛かります。あいつのせいでこんな苦労をしていると思ってしまうと、それが何とも馬鹿馬鹿しい気がしてしまうのです。

 

休職して、様々なことが強制的にリセットされました。それがいい方向に働くこともあるのだと、自分の感覚の変化から感じることができました。失ったものも当然ありますが、それで気付くこともあります。昔をやり直すことはできないので、良くも悪くも変化を受け入れてやっていこうと思います。