かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

理由がない、を認める

問題や課題があればその原因を突き止めて適切な対応をとる、これは私の中で息をするように自然な行動です。でも最近、全てに対してそうする必要はないのだと気付きました。

 

先週末ころから気持ちが何となく沈んでいて、仕事に対して今ひとつやる気がわかずに悶々とする時間を長く過ごしました。自分の関わるプロジェクトやチーム内の状況を踏まえてもこの後ろ向きの状態にうまく説明がつけられず、打ち手も見えない状況でした。そうなると、当初課題に思っていた自分の精神状況より、問題が特定できず有効な打ち手が見つからないことに焦りを感じはじめました。こうなるとドツボに嵌まったようなものです。どうして、という理由探しで頭がいっぱいでした。

 

でもある時、「春だから調子が悪い」「天候のせいで落ち着かない」と、周囲の人が自分自身のことを表現しているのに気付きました。そして小さく驚きました。これで自分が納得するなら原因を自分の外に求めても良いし、それで問題が解決しなくても、少なくとも原因探しに頭を悩まさないだけで余裕ができる気がしたのです。

 

それに、悩んでいる瞬間には大きな課題だと思ったとしても、後から振り返れば意外に些細なことだったりするものです。最近ずっと簡単な日記をつけています。その日に深刻な面持ちで書いていた内容でも、1ヶ月ほど経つとと思い出せない程に記憶が薄れていたりもします。本当に、認識や記憶というのはいい加減なものです。

 

どんな問題も真面目に捉えて状況を改善しようというのは自分の美徳でもあり、それでうまく回ってきたことも沢山あります。でも時には少し曖昧に濁して、自分ではどうしようもないところに課題を押し付けてもいいのかもしれません。そうしているうちに、時間が解決することもあるのです。

 

いいタイミングで気づけて良かったです。忘れないでおこうと思います。