かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

不安を見つめすぎないように

昔から寝つきが悪くて、寝ている間にも何度も目が覚めてしまうたちです。社会人になってからは特に、日曜日の夜に全然眠れないことが何度もありました。いつものことだからといって慣れてしまうわけでもなく、だいたい月曜日の朝の気分は低調です。例にもれず、昨夜から今朝方にかけては絶不調でした。

 

眠れないときにはだいたい、何か不安に思っていることを考えてしまいます。昨日の夜は、休職中に昇進していた同期のこと、ずいぶんと進捗していたかつての担当テーマ、復職してからの自分の働き方などをとりとめなく思い浮かべていました。そして、何とも言えない悔しさや、組織にとって自分は不要なのではないかといった恐怖感を膨らませてしまいました。今書き起こしてみると根拠もなく、まさに認知がゆがんでいる事例そのものなのですが、深夜の暗い時間にはあたかもそれが本当のことのように感じてしまうのです。

 

不安なことがあると、それをどうにか解消したくなってあれこれ考えてしまいます。なぜその不安が発生していて、具体的には何が不安で、どう解決できるか、など、考えるとっかかりは沢山思いつきます。それを一つ一つ挙げていくうちに、不安がマトリョーシカのように次々と顔を変えて出てきて、とても対処しきれない圧倒的なものに変わっていきます。スイッチを切るように考えを止めてしまえればいいのに、記憶のストックのなかから自分自身のあら捜しをする自分を止められません。やはりちょっとナーバスになっているなと思います。

 

ただ、自分にとって救いなのは、こうやって書く場所がここにあることです。ある本によると、書くこと、特に他人に状況を伝えようとして書くことは、自分自身を客観視して捉える一助になるそうなのです。確かに、書く前と後とでは出来事の捉え方が違っていると実感することはよくあります。振り返れば些細な事で悩んでいた、と認識することで、次に同じことが起こった時に乗り越えやすくもなります。いわば自分に向けての助け舟を先に出しておくようなものなのです。

 

さらに、もう一つの助け舟を自分に出しておきます。寝る前に悩んでいたことは、起きたときにはその大部分を忘れています。翌朝には忘れられないほどのことだったとしても、1年後、10年後にはたいてい覚えていません。ほとんどの悩みは、所詮その程度のものなのです。

 

私がもっと若くて潔癖な性格だったころには、こんな馴れ合いのような解決法は許せなかったことでしょう。問題があれば解決するのが正しい道だと信じて疑わなかったころから遠く離れて、現実的な答えに軟着陸できるようになりつつあるのは嬉しいことです。