かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

想像上の野良犬一日体験

もし1日だけ動物になれるとしたら、私は迷わず犬を選ぶと思います。家の中で飼われている高級な犬ではなく外飼いの犬がいいです。それもギリシャやトルコ、東南アジアあたりにいる、何ともつかない顔をしたぐうたらした野良の大きい犬になりたいです。

朝日新聞のサイトから転載したトルコの野良犬(https://sippo.asahi.com/article/14568761)。映画にもなっているそう。

どこかの市場の隅のほうに居ついて、朝食を仕入れにやってくる人々に紛れて適当にえさをもらい、日向と日陰の半々のいいとこどりができる場所にどっかりと陣取って見るともなく人の動きを見る、太陽が動くとともに少しずつ場所を変えていく、そんな一日を過ごせたら最高だなと思います。

 

犬の世界で魅力的なのは、やはり嗅覚を中心とした感覚の中で生きていることです。自分が主に視覚でとらえている世界とは異なる世界が、犬には見えて(嗅げて)いるはずです。そこかしこの道路の角や柱の下で他の犬がマーキングした後を一心に嗅いでいる姿を見ると、どんな情報が頭の中を駆け巡っているのかとても興味がわきます。たまにそのあたりを舐めまわしているのにはどんな理由があるのかも気になります。そして、すべてを無かったことにするかのように、自分自身のマーキングをして颯爽と去っていくのは気持ちいいだろうなと想像します。そういうときの犬は、だいたいの場合はしてやったりという顔をして(時には鼻息をフンと鳴らして)いますからね。

 

犬になったあかつきには、ぜひ遠吠えもしてみたいです。夕暮れ時、どこかの犬が遠吠えを始めるのに合わせて、自分もむくっと起き上がって遠吠えをする。その声が、入り組んだ町の通りや夕焼けの空、モスクの尖塔や教会の鐘の上を響き渡っている様子を思い浮かべると、さぞ気持ちがいいだろうと憧れに似た気持ちを感じます。最初は仲間と交流しているつもりがどんどん自分の世界に入っていって、ただ気持ちがいいから吠えているだけになり、しまいには近くの家のおかみさんに水をかけられる、そんな姿が目に浮かびます。でも多分、また懲りずにやってしまうんでしょうね。

 

野良犬のままで生きていると大変なことも多いでしょうが、1日だけという縛りなら何の憂いもなくのびのびと野良犬をやって行けそうです。リクエストが通るならば、過ごしやすい気候の国で天気がいい日に野良犬になりたいです。

 

お題「もし1日だけ動物になれるとしたら、何になりますか?」

光の中で走る

私は運動がからっきしできなくて、小学校のドッジボール大会ではただの的になり、リレーでは外れくじ扱いでした。でもなぜか、小学校の高学年に上がったころから長距離走の成績が急によくなり、中学校ではマラソン大会で学年一番をとれるようになりました。

 

そして高校に入学し、陸上部に入ることにしたのです。公立高校の部活なので明確な指導者はいず、各自が練習プログラムを考えて日々トレーニングをしていました。長距離系の部員は連れ立って近所の河川敷に行き、それぞれのスピードである程度の長さを走って帰ってくるのが日課でした。夏は直射日光で暑く冬は山からの吹き抜ける風が冷たいコースでしたが、春は満開の桜並木の下をいつまでも走ることができるいい場所でした。走り終えて帰ってきた部員の頭にはいつも桜の花びらが何枚か乗っていて、それを見て笑いあうのがお決まりのパターンでした。

 

朝練と称して後輩と運動場のトラックを何周も走ったこと、雨の日のバーベルの鉄錆のにおい、冬の練習で走っている皆の背中から上がっていた湯気、その時は何とも思っていなかったことが、今思い返すといい雰囲気を醸し出す思い出になっていることが不思議です。

 

毎月のように小さい記録会があり、初夏には大きい競技会がありました。大きい競技会は国内でも有数の陸上競技場で開催され、テレビで見た有名選手と同じトラックを走れることがとてもうれしかったです。予選のレースでいい成績を出すと決勝に進むことができ、決勝レースが始まるころには日が暮れかけてナイターの照明がつきます。その強い光に照らされたトラックを走ることが、その頃の私のあこがれでした。

 

一度だけ、今の調子であれば決勝に進めるかもしれない、ということがありました。そして迎えた予選レース、隣のコースにはその頃地区でトップクラスだった選手がいました。スタートの合図がなり、その瞬間はとても足が軽くて、思わずその選手のペースについて行ってしまったのです。明らかにオーバーペースで、トラックを一周するころにはもう限界でした。結局レース全体からも早々に脱落して、決勝に進むなど夢のまた夢、という成績でその大会は終わりました。煌々とともったナイターの明かりのもとで、決勝レースをトップを走るその選手がとても恰好よかったのを覚えています。

 

その後、足の怪我のために競技として走ることをやめ、今となっては怪我がなくても走ること自体が難しい状態になってしまいました。もし高校時代に戻れるなら、またあの頃の身体で日々練習して、あの予選レースを走ってみたいです。自分のペースを守っても届かなかったかもしれないけれど、決勝レースの舞台を目指して戦ってみたいと思います。

 

 

 

 

お題「高校生に戻ったらしたいこと」

家族と他人は何が違うのだろう

私は4人兄弟の上から2番目として育ちました。実家は狭く、自分の部屋を持つどころか全員が一つの部屋で暮らしているような状態でした。小さいころはそれでも気にならなかったのですが、全員が大きくなってくるとどんどん窮屈になり、ちょっとしたことでいがみ合うようになりました。毎日お互いの動きに苛々していて、少し手や足が触れ合っただけで喧嘩になることもしょっちゅうでした。実家に暮らしていたころは早く家を出たい、自分の部屋が欲しいとの思いでいっぱいでした。気が合うかどうかは問題ではなく、物理的に限界だったのだと思います。

 

兄が一足先に実家を出て私もそれに続き、さらに同居していた祖母が亡くなると、家はずいぶんと広くなったようです。18歳で家を出ろという教育方針を聞かされて育った割に弟2人は家に住み続け、社会人になってようやく一人暮らしを始めたと聞きました。

 

あまりにぎゅうぎゅう詰めの18年を送ったあと、その反動のように兄弟とは全く連絡を取らなくなりました。声を聞くのは1年に1度あるかないか、それも「あぁ」「うぅ」などの単語にならない音ばかりです。顔もうろ覚えで、町ですれ違っても気づかないかもしれません。弟のうちの一人などは、両親ともほぼ音信普通のようです。まあそれでも、悪い話は聞かないので特に問題なくやっているのだと思います。

 

両親はともに超個人主義で、自分たちは死ぬまで子供の世話にはならない、と常々言っています。互いに、自分の親の介護で大変な思いをしていたので、子供の代にはそれを引き継ぎたくないのかもしれません。それが貫ければお互いのためにいいように思いますし、もしそうなれば、今後も兄弟間の不干渉は続きそうです。なにか連絡を取り合うことが必要になったら、そのときは大人同士としてうまくやっていけたらいいなと思います。

 

私の家系は某芸能人と親戚関係のようで、一度NHKの「ファミリーヒストリー(芸能人の血縁関係を掘り下げるバラエティ番組)」の取材を受けたことがあります。あまり深堀りできる面白い話がなかったせいかテレビに出ることはありませんでしたが、赤の他人の取材陣のほうが我が家の血縁関係に興味を持っている、というのは不思議な感覚でした。遺伝子の共有や自分のルーツを重要視する感覚が自分の中にあまりにも無くて、ときどきこれでいいのかなと思うこともあります。とはいえ多くの動物はそこまで血縁関係を重視していないしな、と、開き直って自分の中でその話を終わらせるのです。

 

お題「兄弟姉妹のここにイラッ」

資格に振り回されないように

昨日、資格試験に合格しました。これで今年度に取得した資格は以下の4つとなり、年度初めに立てた目標をクリアしました。

  • 統計検定2級
  • G検定
  • Python 3 エンジニア認定基礎試験
  • Python 3 エンジニア認定データ分析試験

 

今年とった資格はいずれも、会社のDX推進施策の中で取得を推奨されていたものです。統計もプログラミングも苦手分野で、気分的にはゼロどころかマイナスからの出発だったにしては頑張ったなと思います。また、体調不良のなかで目標達成できたことも(休職中で勉強に集中できていたにしても)、自分をほめるべきところかと思います。

 

とはいえ、あまり達成感らしい感情がないのも事実です。資格は取ったから何かを保証されるものではない、と改めて思います。会社が求める「DX人材」のイメージと、その必要条件としての資格をただ持っている自分とのギャップに戸惑います。その資格をアピールしてDX人材としての仕事をしたいのか、と言われるとなんだか少し違う気がするのです。それに、実際にそういった職種で生きていくには、これらの資格の知識だけでは難しいような気もします。勉強して資格をとるまでの過程の中で見えてくるものもあるだろう、と考えて資格取得を目指したのですが、いまだ視界不良のままです。

 

それは当然と言えば当然で、今はきっと英語で言えば少しの単語と文法を覚えた程度なのですよね。それだけで英語ができる、というわけではなく、これからやりたいことに沿って知識と体験を積み重ねていかなければならないのだと思います。どの道を選んで進んでいくにせよ、ようやく入口に立ったというのが今の立ち位置で、もちろん引き返すことも自由です。

 

博士課程を修了してphDの学位をとったとき、当時の学部長が、「学位があるから研究者というわけではない、学位を下敷きにして研究者としての自分を作っていくのだ」と言っていました。いろいろな資格も、少なからず同じ面を持っているのだと改めて思います。資格を持っているからといって自動的に道が開けていくわけではなく、思う道に進むための一つの手段として資格があるのです。これを思い出すまでに、ずいぶんと回り道をしたものです。努力に対して、もう少し主体的で目的的であるべきであったなと思います。

 

ただ、これも資格をとった今だから言えることです。そうでなければ、自分の性格上、酸っぱい葡萄のように感じていつまでも後ろめたい気持ちを引きずっていたと思います。むしろ新しいチャンスを得たと思って、これから何ができるのか考えていきます。

 

特別お題「今だから話せること

歌の向こうの感情に励まされる

ミュージカルは苦手だとずっと思っていました。本来はせりふのあるところに急に歌が入ってくると、急に現実に引き戻されてストーリーに入り込めなくなる気がしていました。小学生の体験学習で見た子供向けのミュージカルで抱いたその気持ちのまま、大人になっても何となくその分野の映画や劇は避けていました。

 

そんな中で、キャッツを見ようと思ったのはただの偶然でした。コロナ禍での外出自粛が続き、やることのストックがどんどん尽きていっていたころに、有名だけど見ていなかった映画をAmazon Primeで見始めました。そのうちの一つにキャッツがあったのです。

 

見始めはやはり、昔見たミュージカルと同じように、なんだか入り込めないという印象でした。独特のCG画像と舞台化粧、またストーリーを全く知らずに見始めたこともあって、すこしさめた目で流し見をしていました。それでも劇中の歌やダンスは見ごたえがあり、さすがに話題になるだけのことはあるなあと思いながら見続けていたのです。

 

感情の潮目が変わったのは、終盤の一曲でした。出演者の一人のジェニファー・ハドソンが「メモリー」を歌い始めた時です。有名な曲で耳なじみがあったので、思わず耳を傾けました。そしてそのまま、歌声に心をつかまれました。

 

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かつては魅力的だったが老いて美貌を失い周囲から疎まれている元娼婦の猫が、古い美しい思い出を思って歌う、というのがこの曲の背景です。歌詞は全然知らなかったので、字幕の文章を手掛かりに意味をたどって聞いていました。でも、途中から設定も歌詞もどうでも良くなりました。耳と目と心が直接つながって涙が出ているのでは、というくらい、涙が止まらなくなったのです。

 

歌っている人の感情と歌声が自分の心とただ共振しているようでした。相手の感情がただ流れこんできて、それに乗って自分が涙を流しているような感覚でした。長い曲ではありませんが、この一曲だけでティッシュを何枚も使ってしまいました。今思うと、その曲を歌う登場人物の抱えるつらさが、その当時の自分の鬱屈した感情や閉塞感を昇華してくれたのかもしれません。音楽という抽象的な表現だからこそ、すこし形の違うつらさにも寄り添うことができたのだと思います。

 

結局今でも、この映画のあらすじや結末はうろ覚えです。でもあの一曲は素晴らしかったなぁと、いまでも印象に残っています。これを聞くためだけにでも、劇場に足を運んでこのミュージカルを見てみたいとも思います。そんな新しい扉を見せてくれる映画に、出会うことができて良かったです。

 

お題「邦画でも洋画でもアニメでも、泣けた!というレベルではなく、号泣した映画を教えてください。」

並んで座る二つの背中、犬のいる暮らし

さいころは犬が大嫌いでした。隣の家で飼われていた中型犬が家の前の道路を通るたびに吠え掛かってくるので、とても怖かったのです。どれだけひっそりと気づかれないように歩いても何かをかぎつけて犬小屋から出てきて、待ち構えていたように塀から顔をぬっと出して、敵意もあらわに激しく吠えるのです。その犬のせいで、身の回りのありとあらゆる犬が怖くてたまりませんでした。

 

でも小学生のころに、兄が犬が飼いたいと言い出しました。隣家の犬はなぜか兄には吠え付かず、兄は犬が怖くなかったのです。父も実は犬が欲しかったようで、話はトントンとすすみました。市の広報紙の「子犬あげます・ください」のコーナー(当時はそんなのがあったんですね)に載っていた3か月の雑種犬が、晴れて我が家の犬になったのです。ぱっと見では何犬か全くわからないその犬はぐんぐんと成長し、小さいゴールデンレトリバーくらいのサイズになりました。性格の優しい犬で、よく犬と私で日がな一日犬小屋の前に並んで座っていました。犬が大きくなるころには、犬嫌いはすっかり克服できていました。

 

その犬が交通事故で死に、今は実家の家の犬は3代目になっています。私が家を出てから買い始めた犬で、実家に帰ったときは、父の知り合いだからまあ許してやるかというよそよそしい態度でおとなしく撫でられています。そういうとき、犬がいる暮らしもいいなぁと思います。

 

最近、ちょっとした暇つぶしでスマホを見ていると、たびたび動物の動画が流れてきます。そのなかでも犬の動画は、飼い主へ寄せる犬の好意や愛情が画面越しにも伝わってきて、無関係な自分でもその犬にとても懐かれている気分にさせてくれます。犬っていとおしい存在だなと思います。なかでもお気に入りの動画は、ジャーマンシェパードのBensonの動画で、新しいものが出るとつい見てしまいます。

https://www.instagram.com/bestboybenson/

 

シェパードは自衛隊や警察などの仕事犬としての姿しか見たことがなかったので、こんなに愛らしい顔をしているとは知りませんでした。もともとのイメージとのギャップに、見るたびにいつも顔がほころんでしまいます。一緒に走り回れたら楽しいだろうなと、自分もまた犬のいる人生を想像したりもします。このサイズ感の犬を飼うのは、住宅事情や飼い主側の生活事情を考えるとなかなか難しいところです。でもいつか、三角座りした自分と同じ目線の高さになるくらいの大きな犬とひなたに横並びで座って、時々頭や背中をごしごししたりしながら(時々よだれをよけたりしながら)ゆっくり過ごしてみたいなと思うのです。

 

お題「ネット上で恋をした」

夜明け前が一番暗い、と思いたい

職場復帰を考え始めてもいいかもしれませんね、と、担当医に言われました。会社側も同じ意見で、あと1,2か月のうちに再出社ということになりそうです。休職時はあれほど戻りたいと思っていた仕事なのに、いざそれが見えてくると不安で逃げ出したくなります。それだけ、本当は辛いと感じていたんだなと改めて思います。

 

以前の記事にも書いたのですが、私は「やると決めたら力の限りやる」ところがあります。学生時代しかり、働き始めてからもしかりでした。休職前の一日のスケジュールは、朝5時15分に家を出て夜24時過ぎに帰ってくる、というものでした。休みの日も直前まで休めるかどうかわからず、出勤していなかったとしても機器の動作が気になって(不安定でしょっちゅうエラーを出す機器だったので)しばしば遠隔モニターで動作確認をしている始末でした。不具合があれば、当然のように出勤です。我ながらよくそれでやってきていたなと思います。

 

その働き方が辛い、怖い、戻りたくない、とは思うのですが、一方でじゃあどうやって働いたらいいのか分からない自分もいます。今の時代の模範的な働き方は色々なところに書かれてはいても、そうやって働いている自分を想像できないのです。これまで経験がないのだから当然なのかもしれません。でも、うまくいかない気がして怖くて仕方がありません。

 

もっと仕事との距離感を適切にとれるような働き方を、年次の低いうちから身に着けてくればよかったのかなと思います。そこまでいかずとも、他の働き方についてもう少し寛容な姿勢を身に着けていたら、今こんなに苦しまずに済んだのかもしれません。あまりこういう言葉を使うのはよくないですが、やはりこれまでの働き方は失敗だったのかもしれないなと思います。

 

仕事に復帰してしまえば、意外と想像よりは良い状況になるかもしれません。だいたいにおいて踏み出す前が一番不安で、悪い想像をしてしまいがちなものだからです。でも、今この瞬間に感じていたことを残すことは後の自分にとって意味があるのかもしれないと思って、ここに書き残しておくことにしました。うまくまとまらない文章になってしまいましたが、ここで終わることにします。

 

お題「人生で1番の失敗」