かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

書く理由

人間の脳は、学習したことを1日後には74%、1か月後には79%忘れているそうです。何かを覚えようとしたときすらこの数字なので、日常の景色や些細な出来事はほとんど記憶に残っていないでしょう。試しに昨日の出来事を朝から辿ってみようとしても、断片的な記憶が無理矢理掘り出されただけでした。

 

ところが一度自分で咀嚼して文章の形にした出来事だと、意外なほどすらすらと、その時の感情や光景も含めて蘇ってきます。自分の書いたブログの投稿は気恥ずかしくて読み返すことができませんが、タイトルを見るだけでも、その頃に考えていたことがくっきりとイメージできます。それがあまりに鮮やかすぎて、自分の中で再構成したフィクションを正しい記憶と思い込んでいるだけなのではと思ったりもします。いずれにせよ、真実は藪の中です。

 

ブログを書いていて良かったと感じるのは、その当時に書いた言葉たちが、時折自分を支えてくれるような気がするからです。気持ちはあやふやで移り変わっていきますが、文字に残したものが自分を繋ぎ止めてくれる瞬間があるのです。特に休職中に書き連ねた文章のいくつかは、仕事への思いを再確認させるのと同時に、自分自身を大切にすることの大事さを折に触れて気づかせてくれます。

 

色々な人の文章に、これまで随分と救われてきました。そのうち、できるなら自分の文章でも誰かの辛さに寄り添えたらという思うようになりました。一方で、不特定な誰かのことを意識せず自分自身の感情や関心を素直に表現したいという思いが、文字を打つ指を時折迷わせました。でも振り返ってみれば、自分が救われた文章も、誰かがその人の感情や関心を素直に書いたものなのかもしれません。少なくとも私自身が、過去の自分の文章に救われたようにです。N=1の不確かな根拠ですが、文章それ自体の持つ力をもっと信じてもいいのかもしれません。

 

何かを特別に望むでもなく、誰かの役に立たなければと気負う事もなく、ただ出来事と感じたことを書く人がいてもいいですよね。効率や成果を求めがちな日常の中で、それと違った価値観で過ごす時間は私にとって貴重な時間です。自分の内側にある思いを文章に置き換えることや感情にぴったりと重なる言葉を見つけていくことは、それ自体がとても楽しいのです。

 

おそらくまた、なぜ文章を書いているのか、その時間になんの意味があるのかと考える時がくると思います。それまでは、この時間を大切にして過ごしていきたいです。

 

特別お題「わたしがブログを書く理由