かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

日々の草を抜く

新居に移ってはや一週間が過ぎました。程よく雨が降り程よく日が差す毎日で、敷地内に小さく土が残る部分に雑草が目立ってきました。そこで、週末にふと思い立って草抜きを始めました。

 

この日のために用意した草刈り鎌を無心に土に突き刺し、草の根を起こしていきます。ちょうど前日に雨が降ったことで土は程よく緩み、草が気持ち良くすぽすぽと抜けていきます。時折、ロゼット葉の根元だけがぶちぶちとちぎれて根が残るものもいます。そうなったら小さいスコップで周りを掘り起こして根を取り除いてやるのみです。ドクダミは数週間前に根絶やしにしたはずなのに、いつの間にか小さな葉をあちこちに広げています。恐るべき再生力です。

 

植物は動物と異なり、体のどの細胞からでも自分自身を再生することができます。これによって、体の大部分を失ってもまた生えてくることができるのです。動物が体のごく一部を失うだけで死んでしまうのとは対照的で、植物と向き合うたびにいつも感心させられます。無論、もう生えてきて欲しくない植物を相手にした時には、その感心は軽々と憎しみに変わってしまうのですが。

 

家の雑草はどこからくるのかと見渡すと、家の裏の細い用水路と、それに沿って伸びる遊歩道が雑草まみれになっていることに気づきました。自治体が管轄している区域ですが、人手不足なのか手入れが回っていないようです。このまま手をこまねいていると我が家にどんどん新たな種が飛んできて、いたちごっこになりそうです。自宅の敷地の草抜きを終えて勢い付いたところで、用水路と遊歩道の草抜きも始めることにしました。こちらは敷地内よりもずっと手強く、草なのか木なのか判然としないほど育った植物やそれに絡みついて更に行き先を求めているツル性の何か、シダやキノコと盛りだくさんです。ときどき傍らを通り過ぎる人や散歩する犬に挨拶をしながら作業を進めると、2時間ほどでずいぶんとこざっぱりした空間ができました。

 

汗だくになって今日の成果を見ていると、最近では一番というくらいの達成感が湧いてきました。振り返ってみれば、普段の仕事の多くは手掛けてから結果が出るまでに月単位や年単位の時間がかかり、色々な立場の人の思惑も絡み、目論みと成果は必ずしも一致しません。それと引き換え、草抜きは実に単純明快で、手を動かした分だけ地面が顔を出し、抜いた草が積み上がっていきます。まさに爽快です。

 

遠くばかりを見る仕事で煮詰まる前に意識的に小さな確実な仕事を入れていくことで、健やかな時間を過ごしやすくなるのかもしれません。後者のタイプの仕事ばかりだと大局を見失って良くないのですが、ちょっとした充足感が心の支えになることもあります。自分の仕事の中の草抜き的なことを、少し意識的に考えてみようと思いました。