かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

家を移る

先週末に新しい家に引っ越しました。

 

これまでの引っ越し回数は計8回で、今後の人生で2桁にのるかどうか微妙なラインです。できればもうしたくない気持ちとあと何度でも新しい場所で暮らしてみたいという気持ちが、自分の中に半々で存在しています。

 

もう引っ越したくないというのは、手続きの煩雑さ以上に、愛着のある場所から離れる寂しさからくる感情です。特にある程度年を重ねてからは、自分が選んだ場所に居を構えているせいか、その場所と別れるときに何ともいえない切なさを感じるようになりました。

 

今回の引っ越しでは仕事をしながら片手間で作業していたこともあり、当日まであまり感情が動かずにいました。これが慣れというものかと自分でも驚いたほどでした。でも、旧宅の片付けをほぼ終えて最後の掃除をしているとき、もうここを掃除することはないのだと思った瞬間から、やはり寂しさが襲ってきました。この家では、新型コロナでの外出自粛やリモートワーク、自分自身の体調不良もあり、これまで住んだ家よりずっと、家の中で過ごす時間が長かったのです。家の外に出られず、窓から見える木々や鳥の声をただ感じるだけだった日々に、周囲の環境がささやかながら彩りを加えてくれました。

 

距離的にはもう来られない場所では決してなく、いつでもまた行けるのだとしても、自分自身がおそらくそうすることはないだろうことは分かっています。その家の周りの環境は時間と共に移り変わり、かつて自分が暮らした頃のままではないからです。ふるさとは遠きにありて思うもの、とは良く言ったものです。

 

荷物の運び出しが終わり、何もない空っぽの空間を見渡すと、思いの外部屋が広かったことに気付かされました。何年も前に初めてこの部屋に足を踏み入れたときも、そういえば同じように感じました。住んだ年月の分だけ古びてはいるものの、この部屋で増えた思い出とは裏腹に、部屋自体には何も付け足されてはいないのだと思わされます。結局、思い出は自分が作り出して持ち去っていくものなのです。

 

これまでありがとうございました、と心の中で呟いきながら最後にドアの鍵を掛けたとき、少しだけ目が潤みました。良い場所に恵まれて、良い時間を過ごすことができました。次に暮らす場所でも、また沢山の思い出を作っていけたらと思います。