かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

好きの純度を保つ

昨日、昔書いた日記にコメントをくださった方がいて、それをきっかけにその文章を読み返しました。プロフェッショナルとして完璧な仕事をしなければならない、と悩む自分がそこにいました。そうあるために、自分の持ちうるすべての資源を投入してしまうのが自分の癖でした。

 

すこし余裕のある今の状態で過去を振り返ってみると、かならずしも24時間を仕事に捧げ、常にプロフェッショナルである必要はなかったのだと思えます。労働時間内でそうあることは当然のことなのですが、それは一日の所定労働時間プラス残業時間に対してのことだけです。賃金が発生する時間にまっとうな仕事をするのは当然のことなのですが、そうでない時間までを費やす必要はなかったのです。言葉にすると当たり前すぎて馬鹿みたいですが自分にとっては新しい考えで、それを自分自身が思い浮かべたことがとても衝撃的でした。それと同時に、なんだか肩の荷が下りたような気がしました。

 

研究職という仕事やそれにまつわる知識、技術は今でも変わらず愛していて、それをプライベートの時間を使って貪欲に求めようとする心も変わっていません。でもそのうちの大半は個人として好きでやっていることで、誰かに強制されることでも自分で義務感を感じることでもありません。ただ好きだから気の向くように勉強して、その世界を理解した気になるのが私にとっての純粋な喜びです。そこで得た知識がが仕事に還元できるならラッキー、くらいの心持ちでいてよいのです。

 

ただ、仕事の部分と好きでやっている部分を混ぜないよう、気を付ける必要があります。この2つは自分の中では近すぎるので、ほおっておくとすぐに仕事が侵食してきて本来の動機を忘れてしまいます。そうならないように「好き」の純度を維持し続けること、仕事と切り分けた好きなことに没頭するだけの時間を確保することを心掛けたいです。

 

大学時代に、教養課程の授業で哲学のクラスをとっていました。授業内容の大半はすでに忘れてしまいましたが、その先生が言っていたことが妙に記憶に残っています。「愛するものができたとき、自分自身がその対象のどの部分をなぜ愛しているのか明確にすることが必要です。そうしないと、いつか愛情は変質してしまいます。」という言葉です。今振り返ると、確かにそうだなと思うのです。