かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

だんだんと似てくるもの

小さい頃は魚肉ソーセージが嫌いでした。あの毒々しいオレンジ色のビニール包装を歯で切って開けるのも、その中のぶよっとしたピンク色の質感も、何ともつかない曖昧な味も、全部ひっくるめて苦手でした。

 

ところが、父親はそれが大好きで、スーパーに買い物に行くたびに、母親の持つ買い物カゴに後ろからこっそりと大量の魚肉ソーセージを入れていました。そして、晩酌のたびにいそいそとそれを取り出す父親を見るたびに、大人というものはおかしなものだとつくづく思っていました。機嫌が良い時はお前も食えと半ば無理矢理に押し付けられ、うまいか、という問いかけを曖昧に濁しながら、隣り合って黙って口を動かしていたこともありました。

 

進学して家を出て、しばらくは魚肉ソーセージのことはすっかりと忘れていました。再会したのは社会人になってからのことです。

 

会社の購買では、おにぎりやパンなどの目ぼしい食べ物は朝早くから瞬く間に売り切れてゆきます。お昼どき、実験に集中してうっかり食堂に行きそびれたときには、購買に残っているのはカロリーメイトのような乾き物、野菜ジュース、そして魚肉ソーセージくらいでした。この組み合わせは意外に栄養バランスが良いように思えて、ある日ふと手に取りました。

 

驚いたことに、昔あんなに毛嫌いしていた魚肉ソーセージも、今となっては包装に切り込みが入っていて剥がしやすく、あのぼやっとした味もなんだかしみじみと美味しいもののように感じました。疲れているときはなおのこと、その絶妙な塩気が心と体に沁みわたるような気がしました。そして、どこも尖ったところのない優しい味に、なんだかほっとしました。昔の父親も、肉体労働から帰宅してのひと時に、このぼんやりとした感じを楽しんでいたのかもしれないと思いました。

 

そうこうしているうちに、仕事が立て込んだ時の昼食や夜食の定番は魚肉ソーセージになり、デスクの引き出しにいつも常備するまでになりました。いつのまにか、変わり種を見つけたからと差し入れの魚肉ソーセージをくれる人まで出てきたほどです。

 

今日も頑張るぞと包装を開けている時、いつもふと父親の姿が脳裏をよぎります。そして、昔あんなに反発していた、昭和を絵に描いたような頑固親父にだんだんと似てきている気がして、複雑な思いと共に絶妙なおかしみを感じるのです。

 

今週のお題「苦手だったもの」