かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

すいぞくかんと父の思い出

ここ何回か続けて父親のことを書いているので、忘れかけていた小さな事をいくつも思い出します。そうすると、胸の中がくしゃっとしたような不思議な気分になります。

 

私は父が年かさになって生まれた子供だったためか、小さいころはずいぶんかわいがられました。もちろん昭和のおじさんなのでホームドラマめいたかわいがり方はせず、犬小屋を作る父のそばで釘を抜く練習をさせるとか、畑で一緒に雑草ぬきをするとか、昼寝のときに謎の子守唄(多分昔の特撮かアニメの主題歌)を歌ってくれるとか、そんなかわいがり方でした。なかでも当時の私が一番気に入っていたのが「青い電車に乗ってすいぞくかんに行く」ことでした。

 

毎週日曜の朝になると、父が「すいぞくかんに行くか?」と聞いてきます。私はもちろん、うんと答えます。そして、家の近くの駅から青色の鈍行の電車に乗ってターミナル駅まで向かうのです。改札で駅員さんが切符を切ってくれた最後の時代で、父の切符を代わりに差し出して鋏を入れてもらうのがとても楽しかったのを覚えています。目的の駅に向かうにつれて線路の周りがごちゃごちゃしたビル街に変わっていくのも、駅の手前の大きな川で鉄橋を渡るときのがたごという音も大好きでした。

 

父が毎週向かっていたのは競馬の場外馬券場でした。何やら研究しては赤鉛筆で書き込んだ競馬新聞を片手に、私の手を引いてそのビルに向かうのでした。さすがに子供連れでは入りづらかったのか、ここで待っているようにといつも言われたのが、ビルの入り口にあった大きな水槽の前でした。壁に埋め込まれたいくつもの水槽が、私と父の間で「すいぞくかん」と呼ばれていたのです。もちろん小さい私は、それが本当の水族館だとばかり思っていました。

 

家にいるメダカや金魚とちがって、すいぞくかんの中の魚は蛍光色の赤や青、黄色などの鮮やかな色をしていました。水草も、家の水槽に生える深緑色の藻ではなくて、明るい緑色や紫色をしてひらひらと水の中をそよいでいました。通気のための泡ですら、きらきらと光って魅力的でした。一番のお気に入りはコバンザメで、水槽の壁にぺたぺたとくっついている様子はほかのどんな魚とも違っていて興味を掻き立てられました。父が戻ってくるまでのしばらくの間、私はすいぞくかんにくぎ付けでした。

 

月曜に幼稚園に行くとたいてい、先生から日曜に何をしていたのと聞かれます。その時いつも、堂々と「すいぞくかんに行った」と答えていました。先生からは、ずいぶん魚好きの子供だと思われていたでしょう。今思うと、何とも気恥ずかしい気分になります。ただそれよりもやはり、懐かしいなあという気持ちで心がじわっと暖かくなるのです。

 

お題「子どもの頃に勘違いしていた、ちょっと恥ずかしいこと」