悲観は気分から、楽観は意志から
ある本を読んでいたら良い文章がありました。タイトルにも書いた言葉で、アランという人の著作の一節だそうです。
先週、あまりうまくいかなかった実験がありました。顧客と取り決めた開発スケジュールの上では少しまずい状況かもしれず、内心は焦りと不安が渦巻いていました。休日も、ふとした瞬間に思い出してはどうしようかと堂々巡りをしてしまいました。久しぶりのクラシックコンサートに出向いたのに、曲の合間に実験のことが頭をよぎって集中できず、散々でした。
ただ、今日改めてデータを見返すと、よろしくない結果のうちにも次への打ち手に繋がりそうなものがいくつか見えてきました。また、顧客とはデータを出す期限は取り決めていたものの、それは必ずしも『良いデータ』を出すことを意味していなかったと気付きました。勝手に自分の中でハードルを上げて、どうせ出すなら良いデータを見せようと意気込んでいただけだったのです。
そういえばこれは良くあるパターンで、自分にかける重圧で頑張れることもあれば潰れることもありました。私にはもともと完璧主義の傾向があります。なので、どこか一点でも曇りのある結果がでたらそれは無価値なように感じて、必要以上にその先を悲観してしまうのです。一方で、悲観したほどのことが起こらなければ、それまで抱いていた悲観的な気持ちはさっと晴れてしまいます。つまりは実体のないものに囚われて怯えていたことになります。
自分で駄目と決めつけていることが、実際にはそうでないことは多々あります。放っておくと悲観に寄りがちな気分を出来るだけ楽観に維持するには、無理やりにでも良い部分を探すことが必要です。昔はそれを欺瞞や甘えと感じていました。でも、過剰な不安や落ち込みを無くしてパフォーマンスを維持するためには、むしろ意識してそうすべきなのかもしれません。
身についた習慣を変えるのは難しいですが、意志の力には自信があります。少しずつでも楽観的な視点を持っていけるよう、自分を育てていきたいです。