かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

石との関係

前の文章で絵本について考えていたら、本を読むのも好きだったけれど作るのも好きだったことを思い出しました。厳密にいうと本ではなくスクラップ帳のようなものを作ることに、小学校に入りたてのころの私は熱中していました。

 

当時の新聞には、ときどき宝石の折り込み広告が入っていました。ときには新聞の1ページがまるごと、12か月分の誕生石のカラー広告だったこともありました。幼いころの私は透明で光っているものが大好きで、紙に印刷された宝石は私の気をひくのに十分だったのです。両親もそれを知っていて、広告が入るたびにそのページをちぎって置いておいてくれました。

 

毎週日曜日になると、その週の広告のより分けをします。興味があるのは石の部分なので、土台の金や銀の部分が大きく目立って写っているものは外します。複雑なカットがされているものも好みではありません。シンプルに光る石の写真だけを集めていくと、そんなにたくさんの種類は残りません。その選りすぐりの写真をきれいに切り取っていくのはとても楽しい時間でした。

 

切り抜きが終わると、こんどは貼り付けの作業です。写真アルバムの貼り付け用の台紙を親にねだって分けてもらい、そこに1枚ずつ丁寧に貼っていくのです。台紙の表面に貼られている透明の薄いフィルムをしわが寄らないようにゆっくりとはがし、細いしま状にのりが着いたクリーム色の台紙にそっと写真をのせ、空気が入らないようにフィルムを戻す。息をつめて行うこの作業が無事に終わると、とてもすがすがしい気持ちがしました。時には写真がずれて乗ってしまうこともあり、はがしてやり直すつもりが破れて汚くくっついてしまって、すべて台無しになった気がしたものです。気泡がフィルムに入って取れないときや、小さいほこりが台紙にくっついたまま挟み込んでしまったときも、とても残念な気持ちになりました。

 

透明で光るものに対する収集癖は宝石以外にも及んでいました。公園の砂場では砂に交じる小さい石英の粒をいっしんに探し、見つけてはポケットに入れていきました。川原では流れの中で丸く削られたガラスの破片を探して、それもポケット行きになりました。集めたものたちをポケットのなかで触っていると、とても幸せでした。そしてそのうち、洗濯しようとした母に見つかって叱られるのが常でした。

 

いまもあの頃の気持ちは少しだけ残っていて、博物館で大きな紫水晶のかたまりを見るとどきどきします。標本箱に並べられた鉱物にも心ひかれて、いつまでも眺めていたい気持ちになります。旅先で素敵な石を見つけて持ち帰り、部屋の中に並べてみたりもします。幸いにも身に着けたいという気持ちには向かいませんでしたが、これからも石とはいい関係を続けていきたいと思います。