かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

音を楽しむ

歌詞がついていない曲をきくようになったのは大学生のころでした。それまでは、音楽は歌われる言葉に彩りや雰囲気を加えるためにあると思っていました。音楽の授業で歌詞のない音楽を演奏したり聞かされたりしても、なにを感じればいいのかわからず物足りない気持ちしかありませんでした。

 

新しい世界を開いてくれたのは当時お付き合いしていた人でした。その人がサティやドビュッシーピアノ曲が好きだと聞いて、いかにもそれが分かっているという振りをしたくてききはじめたのです。ポータブルの音楽プレイヤーに沢山の曲を詰め込んで、時間があるときはいつもヘッドホンを耳に着けて音楽を流していました。どの曲も音の一つ一つを暗記するくらい聞きこんで、「よさ」を一生懸命探していました。今思うとずいぶん背伸びしていたものです。

 

そしてあるとき、音楽っていいかもしれないとようやく思えました。何度もきいたはずのドビュッシーの「月の光」、それを流しているときにあるイメージが目の奥にうかびました。波が静かに打ち寄せる入り江に月が昇っていきその光が水面に落ちている、そんな光景です。作曲家が本当にそう思っていたかは分かりませんが、その人が音で描きたかったものと繋がれた気がしました。曲のよさを探さなくても、感じるものそのまま素直に受け取ればいいのだと思えたのです。

 

その後、お付き合いしていた人とは別れ、音楽からもいつの間にか遠ざかってしまいました。就職して都会に出て、しばらくの間は音楽をきく余裕もなく過ごしていました。でもある日、会社の帰り道の駅で、その街の音楽ホールでのコンサートの案内ポスターを見かけました。日付は当日で、その足で向かえば間に合う時間でした。クラシックコンサートの経験はありませんでしたが、なんとなくふと行ってみたくなったのです。

 

はじめの曲はトーカッタとフーガ、よく聞くフレーズの耳なじみのある曲のはずでした。ですが、パイプオルガンでの演奏にしょっぱなから圧倒されました。音がホール全体に膨らみ、壁やいすも振るわせて自分の身体に入ってくるような気がしました。これまでの耳で聞く音楽よりさらに生々しく音を感じて、心を持っていかれました。その後も何曲かの演奏が続き、会場を出るころには私はすっかり打ちのめされていました。こんなすごいものが世の中にあったとは、との思いでいっぱいでした。

 

そこからずっと、クラシック音楽とコンサート通いへの情熱は尽きることなく続いています。時代をこえてなお伝わる作曲家の思いや感情の奥底をそっと撫でるような美しい音の連なりは、いつも私の心を震わせてくれます。そして、いくら聴いてもすべての曲を経験することはできないのだと思うと切なくなります。もっと早く聴き始めていたら、良さに気づけていたらよかったなと心から思います。

 

お題「もっと早くやっておけばよかったと思う事」