かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

瓶に詰めて流した手紙が誰かに届くとき

このブログを始めてからずっと、お題を一つ決めてそれに沿って書いていました。でも今日はお題なしで書いています。とてもうれしいことがあったからです。

 

先日「私がとらわれていた『しなきゃ』」というお題で投稿した文章を、キャンペーン主催者の目にとめていただいたのです。優秀賞(賞金がもらえたそう)にはなりませんでしたが、共感した記事ということでご紹介いただきました。

media.lifull.com

 

この旨を知らせるメールが届いて実際に紹介ページを見たとき、自分でも驚くほどうれしかったです。誰にも向けずにネットの海に放流した手紙が、誰かの手に渡ってその人の心を少しでも動かしたのかもしれない、と感じられたからです。これまでの自分なら、優秀賞はとっていないし1番のできじゃないじゃないかとくさしていたかもしれません。でも、今回は賞や順位のことは全く頭をよぎりませんでした。何かを書いて誰かに伝わるっていいなと心から思いました。

 

書くことにはずっと苦手意識がありました。小学校の国語の授業で作文の課題が出たとき、400マスの原稿用紙を前に何を書いたらいいかわからず、鉛筆を握りしめて時間がたつのをただ待っていたのを思い出します。書きたいことを自由に書いていいと言われれるほど何を書いたらいいのか分からなくなって、結局その日は名前だけを書いた原稿用紙を提出しました。作文にも何かしらの正解があって、それを書かなければいけないと思い込んでいました。その頃から考えると、ずいぶんと自由に素直に書けるようになったものだと思います。

 

素直になった、というのは、毎日決まって文章を書くようになってから自分に起こった変化の一つのように思います。自分が感じていることや考えていることに、ひとまずフラットに耳を傾けられるようになりました。これまでは「価値があること」「生産的であること」「ポジティブであること」などの正しそうなことしか、頭の中での存在を許していませんでした。そこから外れた考えがよぎると、それをどうにか修正して自分を改心させるのが常でした。でも書き続けることで、自分のなかのけして明るくない部分を掘り出すことができました。そして、それらは文字にするとそこまで汚いものではありませんでした。それに気づけて、少しずつ素直になって行けたのかなと思います。

 

その意味では、いつも読んでくれている方々には感謝しかありません。世の中的には正しくないかもしれないことを考えて書いたとしても、それで完全に否定されて拒絶されるわけではないことを教えてくれたからです(仮にそんなつもりはなかったとしても)。いつもありがとうございます。

 

なんだか小さいことを大げさに書いているみたいになってきたので、恥ずかしいのでこのあたりでやめようと思います。卒業式の文章みたいですが、書くことはこれからも続けていきます。