かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

決まりごとが多いほうが自由が増すこともある

学生時代に、弓道をしていました。袴と長い弓がかっこいいから、というのがきっかけでした。

 

初心者が急に弓を使えるわけではなく、作法も含めた動きの型を数か月かけて覚えることから始めました。道場に入ってからの歩きはじめに出す足や歩く道筋、矢を射る場所まで何歩で歩くか、その時の視線など、矢を射る前後も含めたあらゆることが決められていました。

 

決まり事を覚えて、弓を引くための基礎的な筋力ができてようやく、自分用の弓と矢をもって矢を射ることができます。そこからはひたすら的に向かっての(あるいは簡易的な室内用の的に向かって)練習になります。和弓には照準器がついていないので、目的とする場所に矢を運ぶためには正しい体の感覚をつかむことがとても重要でした。また、的を狙うために作為的に体を動かすことが「よくないこと」とされているので、弓を引き絞ったときに結果的に矢が正しい位置にあることが必要でした。

 

弓を引いて矢を射る、という一連の動きは、想像していただくとおり非常に単純です、その単純な動きを、型として決められた通りに、また正しいとされる動きを目指して毎日何百回と繰り返すうちに、不思議なことに自分の体を外側から見るような感覚が養われていきました。腰の中心を原点として、肩・肘・手首・膝・足首などのポイントの座標と、そこにかかる力の向きと大きさ、筋肉の動きが明確にイメージできるようになったのです。イメージが明確であればあるほど動作の正確度が増し、結果的に的に当たる確率も高くなっていきました。

 

長距離走以外の運動が苦手だった自分にとって、自分の体を客観視して思った通りに動かす、というのはとても新鮮でした。

 

この感覚に至るまでに重要だったのが、決まった通りのことをそのまま行う、ということだったのだと思います。動作が完全に固定されていることで、身体感覚だけに集中して、自分自身に潜っていく感覚を得られたように感じます。それが結果的に、自分の体の操作感を増すことにつながっていきました。外的な決まり事が多いほど内面に集中でき、ある種の自由が得られやすくなる、というのは、意外といろいろな局面に当てはまるかもしれないと感じたりもします。

 

書く習慣一か月チャレンジ、今日は「これまでに夢中になったものやこと」がテーマでした。