かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

笑顔の練習

物心ついたころから、笑顔の練習をしています。鏡に向かってにっこりとし、そのまましばらくいろいろな表現を試してみる。笑顔の濃度を薄めたり、不遜な表情を作ったり、寂しげな、また優し気なといった修飾をつけたりする。そんな具合です。

始めたきっかけは些細なことだったはずです。母親からぶすっとするのはよしなさいと言われたのか、近所の人からにっこりとしているほうが可愛いと言われたのか。ある学者が「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだ。つらい時ほど笑ったほうがいい」と言うのを聞いてからは、いつも笑顔でいるようにしました。鏡がなくても、笑顔は練習できました。練習するほど、笑顔は上達しました。いつの間にか、私のトレードマークは笑顔、と言われるほどになりました。

 

つらいことがあると、泣きながら鏡の前に立って、にっこりと笑いながら「大丈夫」と言う。目が腫れて鼻が赤くなっていて、その顔はすごく不細工でした。休職前にぎりぎりの状態で駆け込んだ病院でも、私は微笑みながら体調を説明していたそうで、表情と状況の不一致さははたから見ると違和感があったようです。

 

それでも、結局のところ私は、自分の笑っている顔が好きなのだと思います。この笑顔は生まれつきのものではない、でも、ずっと努力して身に着けてきた能力です。そうやって自分の好きなところを増やして、自分を好きになっていくやり方もあっていいのかな、と思っています。

ありのままの自分を好きになる、という言葉があります。でも、ありのまま、に加えて、自分が一生懸命作ってきたものを愛する、というあり方があってもいいのかもしれません。

 

「もっと自分を愛しなさい、自分を本当の意味で理解して愛せるのは自分しかいない」、大学時代の優しい先輩はこう言ってくれました。その時は私は自分のことがとても嫌いで、この言葉を聞いてひどく混乱しました。いまも、好きか嫌いかでいうと嫌いのほうが多いと思います。どこが、というよりも漠然とした嫌いの感情があります。それでも、ひとしきり悩んだ後に絞り出せる「好き」があってよかったと思います。それに、少なくとも自分にたいして無関心ではないのは救いだと思います。いつか、ふとしたきっかけで感覚がつるりとひっくり返って、嫌いが好きになるかもしれません。

 

書く習慣1か月チャレンジ、今日のお題は「自分の好きなところ」でした。