かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

私が子供だった頃

私が幼稚園児だったころ、ぼんやりした子供で、よく道の脇の溝や水路に落ちていました。溝に頭がぴったりはまって抜けなくなり、周りで大人が大騒ぎしていたことを覚えています。あの時はどうやって頭を抜いたんだっけ…。ガラス戸に頭から突っ込んで病院送りになったことも何度かあります。

本を読むのが好きで、幼稚園の外遊びの時間やお迎え待ちの時間にも、部屋の中でずっと本を読んでいました。近所の図書館で毎日のように絵本を借りて、絵本の持ち帰り専用の大判の黄色い防水袋をぶら下げて歩いていたことを覚えています。

 

私が小学生だったころ、相変わらずぼんやりした子供でした。社会科見学先の工場で、何かに頭をぶつけて流血騒ぎをおこしてしまいました。振り返ると、見学先の会社に大変迷惑をかけてしまって申し訳なかったと思います。

運動が全然できず、体育の時間は苦行でした。逆上がりや跳び箱ができなくて、みんなの前で一人だけ延々と練習させられたり。それよりつらかったのは、チーム競技でほかの人の足を引っ張ってしまうこと、ペアを組んでの練習で練習が成り立たないことでした。いまでもチーム競技は苦手です。ただ、なぜか高学年からは急に長距離走が得意になりました。短距離走とほぼ同じスピードのままずっと走り続けられる(逆に言うと短距離走が遅すぎる)ので、体育の授業でクラスで初めて一番を取りました。

本は相変わらず好きで、文字なら何でも読んでいました。新学期に新しい教科書が配られたら、全科目分をその日のうちに目を通し、そのあとは気に入った部分を繰り返しずっと読んでいる状態でした。毎年のお気に入りは、社会科の図録と道徳の副読本でした。図書館との蜜月は続いていて、週2回、各10冊ずつの貸し出しを受けて、家でずっと本を読んでいました。あまりに本ばかり読んでいるので、いっとき読書禁止を親から言い渡されたほどです。でも、隠れてこっそり読んでいました。

高学年になって、初めて誰かを好きになりました。その人が通学で使っているだろう電車が家の前の踏切を通るので、通学時間に踏切が下りていると、通り過ぎていく電車のなかにその人がいないかと一生懸命探していました。

 

私が中学生だったころ、ようやくあまりぼんやりしなくなりました。将来の夢についてのスピーチの課題で、とくに強い思いもなく「宇宙飛行士になりたい」と話しました。それを聞いた当時の理科の先生から、「地球上にこんなにも課題が転がっているのに宇宙に目を向けているのは馬鹿だ」と言われました。それに凄く納得してしまい、ようやく現実の社会と自分の将来を結び付けて考えることができ始めた気がします。このころから、将来は研究者となって地球上の課題を解決したいと思うようになりました。その理科の先生はとがったところのある人(なぜか机の中に大麻がはいっていた)でしたが、そのとがりが好きで、友達と一緒に理科室によく遊びに行ったものでした。

本はもはや好きというレベルではなく、空気のようにいつもそばにいる存在でした。

このころの自分がどんな子供だったかはあまり覚えていません。ただ、中学校の窓から遠くの山が見えて、それが日によって違う色をするのが面白くて、休み時間によく外を眺めていたことを覚えています。

 

書く習慣1か月チャレンジの5日目、「昔はどんなこどもだったか」を振り返ってみました。どの時点の私も、大人は今の自分とかけ離れた場所にいると思っていましたが、案外変わらない地続きのところで、同じような顔で過ごしています。一方で、当時はこの世の終わりくらいに感じていた重大な悩みもあったはずなのですが、今振り返ると思い出すことすらできないようです。