かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

北の大地の学生寮

「18歳になったら経済的な援助はしない。家を出て自活すること。」小さいころからずっとそう言い聞かされて育ってきました。実家の家計が苦しいことは肌でずっと感じていたので、そこに全く違和感はありませんでした。そして、せっかく家を出るのだから家から一番遠い大学に行こう、と決めました。合格した大学から送られてきた各種手続き用の封筒の中に学生寮の案内があり、家賃が光熱費込みで1万円以下、といううたい文句に、入寮を即決しました。

 

入学式の数日前に、寮に入居することにしました。ふきっさらしの吹雪の中を歩いて寮までたどり着き玄関を開けると、そこには何人分とも知れない数の靴が転がっていました。古ぼけたものから現役のものまで地層のようになっている靴の姿は、いまでも鮮明に覚えています。地層のように、という枕詞を、その後何度も思い浮かべることになりました。ある時など、酔いつぶれた人が折り重なるように寝ていて、地層のように、という言葉は人間に対しても使うのだなぁと酔った頭で思ったものです。

 

靴の一件でもわかるように、そこは決して美しくも洗練されてもいない場所でした。鉄筋コンクリートの建屋の中に何百人かの大学生を入れてかき混ぜた後に数年寝かせ、そこからさらに継ぎ足し方式で作った秘伝のタレのような空気が、そこにありました。本来は個室として使うはずの部屋を改装して作った、複数人用の居住スペースはその最たるものでした。いつから使われているかわからないコタツで、年齢不詳のいで立ちの上級生たちが甲類焼酎のプラボトルを片手に麻雀をしている、それがいつもの風景でした。

 

そういう場所だけに、最悪だと感じることは多々ありました。朝起きたら目と鼻の先に全裸で油まみれになった酔っ払いがいびきをかいていたこと(当然その周囲も油まみれ)、3階の部屋から共用のブラウン管テレビを投げ捨てた上級生(外は空き地なのでけが人はなし)、落書きだらけで掃除という概念を失った吹き溜まりのような廊下、その他文字に起こすのもはばかられるようなことなど、これは本当に人が住む場所なのかと感じるときもありました。

 

ただ今思い返すと、やはりあの場所は好きだったし、同じ境遇に立ったらまた住んでしまうと思います。よくも悪くも、沢山の赤の他人のドロドロとした感情と生で触れあえる機会でした。「こいつホンマに最低やな」と思った人が時には仏のように素晴らしい人になったりする、その逆もしかり、というように、人の汚い部分からきれいな部分までを感じながら(自分も見せながら)、洗練とは程遠い場所で暮らすという経験は、なかなか味わえない興味深いものだったなと思います。最高だったか、と正面から問われると少し屈折した思いも芽生えますが、それでもやはりいい場所だったなと感じますね。

 

お題「「住んで最高だった」「住んで最悪だった」という場所」