かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

光の中で走る

私は運動がからっきしできなくて、小学校のドッジボール大会ではただの的になり、リレーでは外れくじ扱いでした。でもなぜか、小学校の高学年に上がったころから長距離走の成績が急によくなり、中学校ではマラソン大会で学年一番をとれるようになりました。

 

そして高校に入学し、陸上部に入ることにしたのです。公立高校の部活なので明確な指導者はいず、各自が練習プログラムを考えて日々トレーニングをしていました。長距離系の部員は連れ立って近所の河川敷に行き、それぞれのスピードである程度の長さを走って帰ってくるのが日課でした。夏は直射日光で暑く冬は山からの吹き抜ける風が冷たいコースでしたが、春は満開の桜並木の下をいつまでも走ることができるいい場所でした。走り終えて帰ってきた部員の頭にはいつも桜の花びらが何枚か乗っていて、それを見て笑いあうのがお決まりのパターンでした。

 

朝練と称して後輩と運動場のトラックを何周も走ったこと、雨の日のバーベルの鉄錆のにおい、冬の練習で走っている皆の背中から上がっていた湯気、その時は何とも思っていなかったことが、今思い返すといい雰囲気を醸し出す思い出になっていることが不思議です。

 

毎月のように小さい記録会があり、初夏には大きい競技会がありました。大きい競技会は国内でも有数の陸上競技場で開催され、テレビで見た有名選手と同じトラックを走れることがとてもうれしかったです。予選のレースでいい成績を出すと決勝に進むことができ、決勝レースが始まるころには日が暮れかけてナイターの照明がつきます。その強い光に照らされたトラックを走ることが、その頃の私のあこがれでした。

 

一度だけ、今の調子であれば決勝に進めるかもしれない、ということがありました。そして迎えた予選レース、隣のコースにはその頃地区でトップクラスだった選手がいました。スタートの合図がなり、その瞬間はとても足が軽くて、思わずその選手のペースについて行ってしまったのです。明らかにオーバーペースで、トラックを一周するころにはもう限界でした。結局レース全体からも早々に脱落して、決勝に進むなど夢のまた夢、という成績でその大会は終わりました。煌々とともったナイターの明かりのもとで、決勝レースをトップを走るその選手がとても恰好よかったのを覚えています。

 

その後、足の怪我のために競技として走ることをやめ、今となっては怪我がなくても走ること自体が難しい状態になってしまいました。もし高校時代に戻れるなら、またあの頃の身体で日々練習して、あの予選レースを走ってみたいです。自分のペースを守っても届かなかったかもしれないけれど、決勝レースの舞台を目指して戦ってみたいと思います。

 

 

 

 

お題「高校生に戻ったらしたいこと」