かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

名前をつける

今期のNHK連続テレビ小説『らんまん』が、だんだん面白くなってきました。日本の植物分類学の草分けである牧野富太郎さんをモデルとしたドラマです。最初はただの植物好きの変な人だった牧野氏が東京帝国大学の研究室にもぐりこみ、近頃では世界的な植物学の大家にも新種の植物の発見を認められ、その学名に牧野氏の名前を入れるところまで来ています。新種の生物の学名には、その名誉として発見者の名前を入れることがあるのです。

 

最近心を動かされたのは、新種の植物の学名を植物学の大家の先生が勝手に決めてしまい、(牧野氏の名前が入っていたとはいえ)牧野氏が大いに悔しがるというシーンです。大学院生のころ、自分の作り出した化合物の名付け親になったときにこの上ない喜びを感じたことを思い出したのです。まだ誰も知らないものを自分の手の中に見つけ、自分が見出したそれと深夜の研究室で向かい合っていた瞬間は、私のこれまでの人生の中の輝かしい瞬間でした。そして、その名前を付けて論文に乗せ世界に送り出したとき、何とも言えない充実感を覚えました。その思いを横取りされて悔しがる牧野氏に自分自身と重なるものを感じて、研究の素晴らしさを改めて感じたのです。

 

就職してからも、いくつかの製品に名前を付けては世に送り出してきました。事業部門から時おり回ってくる売上進捗の中にその製品たちを見つけると、心が暖かくなります。いつの間にか海外にも売られていて、見知らぬ人がその国の言葉の中で私の付けた製品名を唇に乗せ、文章につづってているのだと想像して嬉しくなるのです。できればいい文脈で使われていてほしい、できれば役に立つものであってほしいとささやかに願います。

 

私の父は建築資材の工場に勤めていて、よく街中に出かけては「このビルにはお父さんの作った資材が使われている」と自慢げに話していました。飲んだくれで気が短くどうしようもない部分も多かったですが、そんな父の姿は私にとってあこがれでした。私の作っているものは一般消費者向けではなく、ここに使われているとも言いづらい製品です。それでもようやくあの頃の父に追いつけてきたかもしれないと、自分の作り出した製品たちの名前を思い浮かべて口元を緩めてしまうのです。