かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

映画『君たちはどう生きるか』

*この記事は映画の内容に触れています。

 

 

先週末、『君たちはどう生きるか』を見てきました。ジブリの新作が出ることさえ直前まで気づかず、ずいぶん浦島太郎になっていたものだと思っていたら、宣伝を極力控えていたと聞いて腑に落ちました。そのおかげで予告編もストーリーのさわりにも触れることなく映画を見ることができ、とてもありがたいと思いました。

 

話はそれますが、本や映画を体験する前に情報が入るのは好きではありません。「ラスト5分の衝撃」や「涙が止まらない」なんて先に聞くと興醒めもいいところです(なのにここで感想を書いている自分の矛盾よ、とも思います)。

 

それはさておき、映画はとても楽しむことができました。途中途中でこれは何の話だろう、と考えながらストーリーを追っていくうちに、はっと思い立ったことがありました。それは、この映画が村上春樹(以下村上さん)の一部の小説と似ているということです。村上さんの小説の中では、不思議なことがその説明もないままただ現れては通り過ぎていきます。読者はその雰囲気を楽しむもよし、まじめに考察して議論を交わすもよし、村上さん本人は物語を提供しているだけで何が正解か答えることはありません。その雰囲気が、この映画と非常に近い気がしたのです。なので、村上さんの小説と同様に、好みはかなり分かれそうに感じました。

 

そう気づいてからは、とても素直な気持ちで、流れてくる物語をただ楽しむことができるようになりました。美しい映像、かわいらしいキャラクターたち、先が読めそうで読めない展開に、最後まで何も考えずに没頭しました。

 

ラストに近いシーンが今も心に残っています。ある世界の主であった大叔父が、次世代の主として主人公に世界を引き継ぐ場面です。世界の構成要素としてできるだけ穢れのないものを次世代に残し、あとはお前がうまく組み立てろ、と言い残して大叔父はいなくなります。それは私自身が親から学んだ姿勢でもありました。両親は貧しいながらもできるだけのことを私に与えてくれ、18歳から後は思うままに好きに生きろと自由にさせてくれました。多くの親たちも、それぞれの環境や考え方の違いで与えるものに差はあれども、次の世代をそのように送り出しているのかもしれません。

 

親世代は完璧ではないけれど、そこからできるだけ良いものを受け継ぎ、自分たちの力でより良い新しい世界を作っていこう。そして、それを次の世代へ繋げていこう。これが、映画から私が受け取ったメッセージです。そして、そうありたいと思います。

 

今作が宮崎駿監督の最終作と聞いて、今度こそはそうかもしれないと感じました。これまでジブリならではと思ってきた、情報量を抑えたうえで最大限の情感を伝える画面づくりが今後どう変化していくのか気になります。できるなら変わってほしくない、でも外野がそう願うのも、後の世代に託すという点からすると筋違いなのかもしれません。次回作がどんな形で出てくるのか、楽しみに待とうと思います。