かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

30万円あったら

ふと手元に入ってきたお金があったら、迷わず寄付するようにしています。例えばコロナ禍の緊急経済対策で支払われた10万円は、自分の好きなオーケストラに全額寄付しました。昔からの貧乏性が今になっても治らず、急に収入が入ると動転して散財してしまい後味が悪いので、だったら最初からなかったことにしたくなるのです。今週のお題の「30万円あったら」も、棚からぼたもち的に手に入ったお金ならどこかに寄付するだろうと思います。

 

お金にはいろいろな機能があります。その中でも、お金に託して気持ちを伝えるというのが自分にとって大事な機能です。そう思うようになったのは、実家の近くの遊園地が、来場者の減少に伴って営業を終了したのがきっかけです。

 

私が生まれるよりも随分昔に作られたその遊園地は、小さいころから当たり前のようにそばにありました。低い山の中腹に大きく見える観覧車は、私にとっての心の風景でした。学校で辛いことがあった日や心細く一人で家に帰る夜に、鮮やかな色にライトアップされた観覧車が見えると心が少し穏やかになりました。家の経済事情もあり、その遊園地に行ったことは一度もありません。ですが、ただ観覧車を眺めているだけで、当時の私には十分でした。

 

大学進学で家を離れたあと、その遊園地が閉鎖され観覧車が解体されたとのニュースを偶然見かけてうろたえました。あって当然と思っていたものが、急に形を失ってしまったのです。そして、なによりつらく思ったのが、その遊園地に対して私は何一つ貢献していず、無くなったことを悲しむ権利すらないということでした。いくら思い出を美しく語ったとしても、その場所のために身銭を切っていない立場から出た言葉は口先だけのもので、むなしく響くばかりだと感じたのです。

 

それ以降、好きだと思うものや存在し続けてほしいと思うものに対しては、その時の自分にできる精一杯のお金を払うことにしています。今風の考えではないかもしれませんが、それが自分の気持ちを相手に伝える一つの方法だからです。寄付もその一環で始めたことです。自分の好きなもののことを思いながら、今年はどこに寄付しようかと考えるのも楽しいものです。

 

寄付を国に申告すると税金が控除されて一部返ってくる、というのをつい最近知りました。寄付額の何割かが戻ってくるすごい仕組みだと思います。自分の世間知らずさに呆れつつ、ポジティブな感情を国が応援してくれているようで嬉しくなります。それを見越して来年はもっと寄付しようかとも思ったりします。たいていの場合、寄付したからと言って見返りはないのですが、それがまた清々しくていいのです。

 

今週のお題「30万円あったら」