かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

争いに完全な善悪はないということ

イタリアに住んでみて驚いたことの一つが、他の国に行くための飛行機のチケットが安いことでした。LCCが多く飛んでいて、往復数千円で海外旅行に行けることもしばしばでした。なので、週末やちょっとした休みを利用して旅行することが増え、これまでに訪れた国は40か国くらいになります。今週は、その中で印象に残った場所について書こうと思います。なお、今週は木曜と金曜は更新できないので、全3回のシリーズになります(おいおいまた続けるかもしれません)。

 

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ものごころついて初めて見た戦争は、旧ユーゴスラビアの内戦でした。テレビに毎日のように映っていた人々の泣き顔や銃声が、記憶に残っています。それでも、旧ユーゴの場所はあまり意識になく、イタリアの隣国であったことを渡航して初めて実感しました。

 

初めて訪れた旧ユーゴの国はクロアチアで、目的地はプリトヴィツェ国立公園でした。冬に訪れたその場所は、雪景色と青く澄んだ水、ところどころに流れる滝があいまった幻想的な光景で、いつまでも歩いていたくなるような場所でした。宿泊先はその近くのラシュトケという小さな町でしたが、ここも町の中に小川が流れ数々の水車が回る美しい町でした。民泊で泊まった宿のオーナーと話すまでは、そこが戦場だったことにはまったく気づきませんでした。

 

「僕が小学校に入学してすぐ、戦争が始まった。小学校に通うはずの期間はずっと難民生活で、この町に戻ってきたときはすべてが廃墟だった。セルビアは今でも憎い。」自分とほぼ同い年のオーナーの言葉に、虚を突かれました。過去のものと思っていた出来事が、生々しく立ち上がってくる気がしました。そして、当時は感情移入して見ていた出来事が完全に他人事になっていたことに気づいて、自分自身を薄っぺらく感じました。そこから、旧ユーゴの各国を回る旅を始めたのです。

 

クロアチアから始まり、スロベニアボスニアヘルツェゴビナセルビアマケドニアを、何度かに分けて訪れました。コソボモンテネグロにはあいにく行くことができませんでした。どの国でも、歴史博物館(もっと直接的に『戦争博物館』としている国もありました)を訪れて、戦争への道筋や、その時人々はどう暮らしていたかを知ろうとしました。民泊を多く使っていたので、時には宿のオーナーから話を聞くこともできました。

 

理解できたことの中で一つ、印象的だったことがあります。それは、どの国にも、戦うための大義や自国なりの正義があったということです。どこか1つの国が悪でそのために戦争が始まったのではなく、歴史的な背景や当時の国際情勢の揺らぎによってバランスが崩れ、結果的に戦争に至ってしまったということです。言葉にすると陳腐ですが、その体感を得られたことは自分にとっては大きいことでした。

 

自分自身、恥ずかしいことに、セルビアを訪れるまではセルビア人にいい印象がなかったのです。当時のニュースやその後の戦犯裁判の印象をそのまま、国や国民全体に当てはめていました。でも、セルビアの人々はとても親切で優しい、普通の人たちでした。それは旧ユーゴのどの国の人も同じでした。そして、戦争によってどの国の人々も傷ついたり死んでしまったりしていたこと、一方的な加害と被害の関係では割り切れないことが、街のいたるところにある慰霊碑や広大な墓地から感じられました。

 

善悪で世の中をはかることはできない、という気づきは、その後の自分にかなり大きな影響を残しています。

 

サラエボの博物館で開かれていた、ある展覧会が心に残っています。ヨーロッパ各地の国境線の写真を集めたもので、そこに写る国境線は、壁も線もなく人や動物が行き来する単なる土地です。一方で、旧ユーゴの国境にはいまもまだ多くの地雷が残っていて、立ち入ることができない場所もあります。壁を作るのは人間である、と感じさせる写真たちでした。もしよければ、下のリンクに一部が掲載されているので見てみてください。

valeriovincenzo.com

 

今週のお題「行きたい国・行った国」