かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

力を尽くすのをやめてみる

これまでずっと、自分のできる最大限の力を尽くして頑張ることを心がけてきました。もうだめだ、と思ってもあきらめないことが大事だ、と思ってきました。そうすることで成長する、だめだった時にも仕方ないと思える、と考えていたのです。でも、これからはこの考え方をやめて、少し方向転換してみようと思います。

 

あきらめずに力を尽くせばだめだった時にも仕方ないと思える、という考えは曲者でした。まず「だめだった時に」という部分です。試験のように単純にマルバツがつくときは良いのですが、普段の仕事や人とのかかわりではなかなかそうはいきません。案件としては採用されたけれどその過程でミスがあり売値が下がった、論文を出すときに若干の論理の弱い部分に目をつぶってごまかした、など、どうしても完璧な結果にはならないことが多いのです。

そんなときに、「ここがだめだったけど本当に力を尽くしたのか」「手を抜いていたからこうなったんじゃないか」と、自分を責める方向に行ってしまいます。そして、それを避けるために完璧を目指してしまうのです。自分の仕事のことは自分が一番よく分かるので、人には見えない傷や大したことのない傷でも許せなくなっていってしまいました。

 

そして、力を尽くしてあきらめずにやる、という部分もやっかいです。目の前の課題を解決するための情報(またはそのカギとなる情報)は、調べれば何かしら出てきます。そして、課題解決のために使える技術や考え方も充実しています。さらに、あきらめたら課題は解決できないよ、という自分の中のささやきがあります。そうなると、課題解決のために自分がどれだけ力を尽くしたか、というのが焦点になってしまいます。現時点では情報や技術がない、または課題がそもそも解決できない、と証明することはできないので、結局は自分がすべての時間をかけてその課題に向き合ったかどうか、でしか自分の頑張りを評価できなくなりました。

 

さらに、仕事はお金をもらってやっているのだからプロとして恥じないことをしなければ、という思いや、自分の夢だった研究者としての成功へのあこがれが、その気持ちに拍車をかけました。そうしているうちに、睡眠と家事の時間以外は仕事をして、さらには睡眠と家事の時間を削って仕事をして、休日も勉強という建前で仕事をする、という状況になっていったのです。力が尽きるまで力を尽くすという生活で、今思うと、体を壊すのは当たり前でした。

 

いま私がやめようと思っていることは2つあります。まず、自分に厳しければ厳しいほどよい、それが努力だという考え方です。他人の(とくに後輩の)仕事を見るときのように、できていることとできていないことを客観的に見て評価しようと思います。そして、仕事に向かうときの人格に自分を乗っ取られないようにすることです。仕事とプライベートな生活は別々のものではなくて、両方とも自分の一部である、という感覚を忘れないようにしていきたいと思います。

 

お題は「思い切ってやめてみた事」なので、これからやめることの話題は少しずれています。ですが、この話題が「やめてみた事」になるまで、少し長いスパンでこの話題を続けていきたいと思います。