かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

ある日のチェルノブイリの風景

イタリアに滞在している間に絶対に行きたいと思っていた場所の一つが、チェルノブイリ原子力発電所でした。ここに行くためにはキエフ発着の丸1日かかるツアーに参加する必要があり、日本からだと訪れるハードルがなかなか高いためです。幸い、当時はイタリア‐ウクライナ間の航空便がかなり多く安く飛んでいたため、週末を使って行き帰りすることができました。

 

チェルノブイリに興味を持ったのは、今思うと野次馬的な考えからでした。教科書で見た場所に行き、時折テレビの特集番組で目にする光景を見てみたい、という欲が自分の中にありました。そして、かの地と日本で起きた原発事故とを重ねて、この後福島はどうなっていくのか、事故の先の未来を見てみたいと思ったのです。

 

キエフの中心部にあるホテルに泊まり、翌日の朝、ツアー客を乗せたバンが出発しました。私のほかはドイツから来た若者3人というグループでした。発電所までの2時間ほどの道のりの途中、ガソリンスタンドに休憩で立ち寄りました。どこから来たのと尋ねる売店のおばさんに日本からと伝えると、遠くからようこそ、と小さいクッキーをもらいました。

 

発電所の周辺には立ち入り禁止区域が設けられています。ただ、検問を受ければ区域内に入ることはでき、入域者用の施設もある程度整備されています。検問のゲートの内外は当然同じ景色が広がっています。人通りの全くない、ただきれいに舗装された道路を進んでいくと、慰霊碑や無くなった村々を祈念するモニュメントが道の脇に時折並んでいます。そして、かつて村のあったあたりには、廃屋や学校のような建物の跡があります。春先の天気が良く暖かい日だったので、廃屋の中に生えた雑草に花が咲いて、そこにハチやチョウが集まっていました。野鳥の声もそこかしこで聞こえました。ただ、ガイドの方が壁のそばの落ち葉の吹き溜まりにガイガーカウンターを近づけると、危険を知らせるアラームが鳴りました。

 

原子力発電所はコンクリートのドームで覆われていて、思っていたよりもかなり近くで見学できました。廃炉作業のためのトラックやクレーンが、ドームの脇を動いていました。すぐそばを幅の広い川が流れていました。その川は少し実家の近くの川に似ていて、退屈そうな顔をしたおじさんたちが釣りでもしていそうな場所でした。水面に反射する光がきらきらとまぶしく、ここが事故の現場だと言われなければ、どこにでもあるさびれた田舎の風景と思ったかもしれません。

 

その後、原発近くにあった住宅街の跡地に案内されました。団地とスーパーマーケット、小さな遊園地などのある、よく報道にも出てくる場所です。これまでにみたその場所の写真はどちらかというと暗めのおどろおどろしい印象のものでしたが、明るい光のもとで見ると思った以上に普通の場所でした。ほんの数十年前まで人が暮らしていた、その日常をなんとなく想像できました。ツアーで一緒に来ていたドイツ人たちが、廃墟の中でまるでホラー映画を撮っているかのようにはしゃぎまわり、自撮りしているのが不愉快でした。

 

事故や事件で有名になった場所は、無意識に日常と切り離されて特別な場所として認識してしまいます。でも、その場所に行ってみることで、そこは決して特別な場所ではなく自分の立っている場所と地続きにあるのだ、と実感しました。ある土地は過去から変わらずにずっとそこにあるのに、人間がその場所を特別にしてしまうのだ、とも思いました。

 

今、ウクライナをニュースで見ない日はありません。キエフで宿泊したホテルは報道関係者によく使われているようで、その頃に部屋から見た風景がそのままテレビに映っています。あの旅行でかかわった人たちは大丈夫だろうか、と、届きもしない思いがニュースを見るたびに胸を刺します。

 

 

今週のお題「行きたい国・行った国」