かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

図面の裏紙

子供のころ、メモ帳といえば父親のお手製の紙束でした。父は建材工場のたたきあげ工員で、毎日作業着を着て働きに出ていました。その仕事で余った裏紙を、家のメモ帳にしていたのです。もともとB4版だった紙をB5かB6のサイズに小さく切って目玉クリップで留めたものが、我が家のあちこちにぶら下げてありました。

 

使っていた紙はほとんどが何かの設計図面の裏紙で、何に使うかもよく分からない四角形のサイズが㎜単位で書かれていました。ときどき赤い文字で何かが書き込まれていた形跡もありました。今となっては持ち出していい類のものだったかも定かではないですが、当時はおおらかな時代だったのだと思います。

 

小学校から高校まで、勉強するときはいつもこの裏紙と一緒でした。B5のサイズの紙を縦半分に折って、左側に問題集の答え、右側に間違ったところの復習、というのがいつもの使い方でした。右側が空白のままだと問題集の正解率が高かった、というのが目に見えて嬉しかったです。英単語を書いて覚えると言って、上から下まで一行ずつ、鉛筆の粉で手のひらの側面を黒くしながら単語を並べていたこともありました。紙の表側の面に描かれた沢山の四角形は、裏から見るとちょうどよい罫線になっていました。

 

勉強に飽きると裏側の図面を見て、建物の壁の中にこんな形の部品があるのか、と想像しました。父は仕事のことを家で口にしませんでしたが、図面から伝わってくるものが確かにありました。私が高校で理系に進み、大学進学の際にものづくりに関連する学部を選び、民間企業への就職を志した背景には、父から伝わった「ものをつくるってすごい、格好いい」というイメージがあったのだと思います。

 

そういえば父は、同じ会社に中国か台湾の人がいるということで、いっとき中国語の学習に熱を入れていたことがありました。胸ポケットに小型ラジオを入れ、NHKのラジオ中国語の教科書をにらんでは、私と同じように単語や短い文章を裏紙に書き連ねていました。今思うと、勉強のしかたまで親子で似通っていたようです。

 

同じ家に住んでいたころはあまり相性が合わないと思っていて、お互いに積極的に話すこともありませんでした。でも色々なことを無意識に引き継いでいて、年を取るにつれてどんどん昔の父に似てきています。親子というのは不思議なものです。

 

今週のお題「メモ」