かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

みかん水の思い出

私がまだ小さかったころ、弟が生まれました。弟は体が弱かったので、生後しばらくは母親は弟の世話にかかりきりだったようです。そのため同居していた祖母が、私を幼稚園に送り迎えしてくれていました。

 

幼稚園のすぐそばには古くからの駄菓子屋があり、店先にはショーケース型の赤い冷蔵庫が並んでいました。そのころの母は人工甘味料や着色料が大嫌いで、子供にお菓子や甘いものを食べさせないこと、を教育方針としていました。色鮮やかなお菓子を見ては「こんな体に悪そうなものはダメ」と言い聞かされていた私にとって、冷蔵庫の中の瓶入りの色とりどりのジュースはうっとりするほどきれいで、でも絶対に飲んではいけない毒のようなものでした。

 

なかでも「みかん水」と書かれた飲み物は、本物のミカンより数段鮮やかな黄色をしていて、当時の私に唯一名前が読めたジュースだったこともあり、印象に残っています。幼稚園の行きかえりにその駄菓子屋の前を通っては、みかん水がどんな味なのか想像を膨らませました。夏の暑い日には、汗をかいた冷蔵庫の中にずらりと並べられたみかん水がひときわおいしそうに感じられました。

 

そんなある日、いつもそれを欲しそうに見ているのに気づいたのか、祖母が「みかん水を買ってやろうか」と聞いてくれたのです。そんな質問をされるとは全く思っていなかったので、小さい私は心底おどろきました。そして、あこがれのジュースを飲んでみたい気持ちと、ここで母親の教えに背いてはいけないとの気持ちのなかでひとしきり悩みました。絞り出した答えは「いらん」の一言でした。

 

祖母としてはそんな答えが返ってくるとは思わなかったのでしょう。かわいげの無い子やね、と苦々しい顔で返されたのを覚えています。子供ながらに、そう思われたのがショックでした。どう答えるのが正しかったのか、その後しばらく引きずっていたと思います。

 

その後、地域の再開発に伴って駄菓子屋のあったあたりは幹線道路になり、風景は大きく変わりました。みかん水も見ることはなくなりました。阪神大震災に伴う製造業者の廃業などがあり、今はほとんど流通していないそうです。祖母もずいぶん前に他界してしまいました。

 

いま改めてこの出来事を思いかえすと、すこし違う目で祖母を見ることができます。祖母は父を生んですぐに配偶者を亡くし、戦後すぐの厳しい時代を父とあと2人の息子を育てながら働きづめで生きてきました。家は貧しくて、父は高校への進学をあきらめたと聞いています。そんな中で、子供にお菓子やジュースを買ってやることは祖母にはできなかったのかもしれません。少し経済的にゆとりを持てた老後に、孫にそれらを買い与えて喜ぶ顔を見たいと思ったのかもしれないと思うと、あの時むげに断ったことに少し申し訳なさを感じてしまうのです。

 

お題「人生で一番古い記憶」