かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

ポジティブでいなきゃいけない、なんてことはない

私の中にはいろいろな感情があります。明るいキラキラしたものからどす黒くてドロドロしたものまで、無意識に心の底で渦巻いているものがあります。ですが、小さいころからずっと、幸せできれいな感情以外は存在してはいけないと思って訓練してきました。暗い気持ちや悲しい気持ちからはできるだけ目を背けるようにしました。そんな気持ちがどうしても沸き返ってきてしまうときには、反論したり押さえつけたり、世の中にあふれているいろいろな対処法を試したりして、できるだけそれらを心の中から追放するように仕向けてきました。

 

それはある程度は成功していて、いつも幸せそうな笑顔をしているねと言われるようになっていました。時にはちょっと鈍いんじゃないの、なんて言われつつ、それも誉め言葉として受け取っていました。

 

ただ、追放したはずの感情は結局は舞い戻ってきて、しかも無視していた分だけ嫌な形で出てくることもしばしばでした。他人に対する妬みや恨み、乗り越えたと思っていた悲しみや怒りが些細なことでよみがえってきて、そんな自分が嫌で仕方なくて、もとの問題が何だったのか分からないほどに捻じれた感情が腹の底に渦巻いている日もありました。それでも、そんな自分を許せない、まして人に見せることはできないと思って、表面上はいつもの幸せな人であり続けていました。そんな時には、ちょっとした刺激(それが誰かの優しさであっても)に触れただけでも感情が乱れてしまって、取り繕うのに必死になることもありました。

 

近頃いろいろな本を読むようになって分かってきたのが、感情は抑えたり無視したりすると、より大きくいびつな形で返ってくるということです。「感情があること」を認めればそれはいつか去っていくけれども、対処しようとするとその感情自体をさらに強調したり増幅したりしてしまうのだそうです。実際に自分自身を振り返ると、暗さや悲しい感情をもつことそのものが辛い、というよりも、それを感じている自分自身を許せない、なんとか解消しなければいけない、という感覚のほうが辛かったように思います。そんな思いが積み重なると、そんな汚い自分が生きていること自体に嫌悪感を抱くようになっていきました。

 

人には喜怒哀楽のすべての感情があり、そのどれをも感じてもいいと思えたのは最近のことです。これまでは、明るい感情を感じる人と暗い感情を感じる人が自分のなかで対立しているような状況でした。それをやめる練習をするなかでようやく、どちらの感情も自分の中にあってもいいと思えるようになってきたのです。そうすると、暗い感情があること自体の辛さは消えない(これは重要です)ものの、それによって自分を責めることの辛さを感じずに済むようになりました。そして、後者のほうがより、自分にとって苦しかったことが分かりました。心の中の隅々まで明るい人でなきゃいけない、そんな思い込みが自分を苦しめていたようです。

 

うまくいかない日もありますが、長年身についた習慣はそうすぐには変わらないものだと納得できてもいます。これからも、どんな感情でも持つことを許す練習を続けていきたいと思います。