かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

子供をもたなきゃいけない、への後ろめたさ

我が家には子供がいません。いろいろな事情があり、子供を持たないことを決めています。それ自体はとくに辛いことでもネガティブなことでもありません。特に自分自身は子供が好きではないので、むしろよかったとさえ思っています。

 

ただ、「子供をもたなければいけない」という空気は何となくいつも身近にあります。子供を持たない大人は未熟だ、という、個人の性質に対する非難ならばそこまで傷つくことはありません。一方で、子供を持たない大人は社会への迷惑になっている、という論調の文章を読むと、なんだかつらいなぁと思います。そういった言葉に触れるたびに、やっぱり子供を持たなければいけないのではないか、でもその先に起こる可能性を考えるとそれはそれで無責任なのではないか、との考えに、大なり小なり振り回されて落ち込んでしまいます。

 

特に最近は、「少子化対策」「子育て支援」の言葉を聞かない日はありません。テレビのニュースやちょっとした特集で出生数の減った先の暗い予想を聞くたびに、まるで犯罪者のような気分になります。どれだけ支援されても子供を持つことはできません、申し訳ありません、との思いで心がいっぱいになってしまうのです。会社でも、子育て中にもかかわらず成果を上げた人、という広報記事を見るたびに、なぜかつらくなっていました。どんなことでも、「子供」という言葉を耳にするたびに責められているような気がしました。ひどいときは、動物園のパンダに子供が生まれた、というニュースでさえつらかったのです。

 

でもこの頃、子供を持たない人生でもいいと思えるようになってきました。このことをつらいと感じさせていたのは、子供がいるかどうかという事実ではなく、完璧な人間でなければいけないという自分の思い込みだったことに、少しずつ気づくことができたからです。子供がいないから社会貢献していない、という論調に対しても、それだけが社会貢献じゃない、自分は自分のできることを通じて貢献していると思えるようになってきました。

 

今年度の出生数に関するニュースをうけて、これから一層、子供を持つことに対する世間の期待が高くなっていくのかなと思います。その中でつらいと思ってしまう人に、そんなに気に病まなくていいんだよと声をかけられる人でありたいです。