かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

前に進んで、幸せを探す

朝、すこし暗いうちから起きだして豆を挽き、コーヒーをいれる。前日に買ったお菓子か納豆ご飯をたべ、コーヒーを飲んでから新聞を読む。その傍らで、窓の外で小鳥が水浴びをして、餌台に置いたひまわりの種を持っていく。徐々に日が上がっていき、目の前の木立と芝生が緑色にかがやき始める。

 

体調不良で休職して約半年、朝の風景を楽しめるようになってきました。働いていたころは朝5時前には起きて、大急ぎで何かを口にして出かけ、通勤の満員電車の中で朝日を見ていました。帰宅は12時前後になることがしばしばでした。今振り返ると、あまり長く続けることができない働き方だったと思います。

 

働いている間はとても充実していました。医療関連の研究開発をしていたので、目の前の研究課題の解決そのものが社会貢献に直結している、確かな実感がありました。自分の両親にもしものことがあったとき、自分の開発したものが命を救うかもしれない。そして、同じ使命感をもつ他社の方々と共同で製品を生み出していく、そういった職務に情熱をささげることは、とても幸福感がありました。

 

ただ、これからはきっと同じ働き方をすることはできないと思います。うまく体と折り合いをつけ、無理のない範囲で仕事をしなければなりません。そういう状態にあることがふがいなく、なかなか認めることができません。今も、どのように生きていけばいいのか分からないでいます。社会から認められる研究者であること、これを目指して長い間頑張ってきて、ようやく結果を出せるようになってきたのに、その矢先で道を外れなければならないのかもしれないと思うと本当につらいのです。いっそあの日々のまま人生が終わっていればよかったのにと思ってしまうこともあります。

 

冒頭に書いた牧歌的な風景も、最初は素直に受け入れることができず、自分への甘えや挫折の象徴のように感じていました。

 

ただ、時間は前にしか進まないのです。前をみて、自分がこれから何を幸せに思い、どう生きていくかを選ばなければなりません。

 

フランクルの『夜と霧』を、最近読み返しました。「与えられた環境に対していかに振る舞いどういった価値を感じるかは、人間に与えられた自由であり尊厳である。」これは、この本に込められた主題の一つです。何度も読んだ本ですが、こんなに心に響いたのは初めてでした。

 

書く習慣1か月チャレンジ、今日は「自分にとっての幸せはどんな状態か」をテーマに書きました。模索の日々は続きそうです。