かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

ぐだぐだガーデニング

私の実家は、高度経済成長期に農地を切り開いて作った住宅地にあります。すぐそばを線路が通り、用水路と細切れの農地に囲まれた場所で育ちました。近くの空港に向かう航空機のエンジン音が一日中聞こえていて、暇さえあれば窓から飛行機雲を眺めていました。

 

家の前には、沢山の植木鉢にいろいろな植物が植えられ並べられていました。小ぶりのキンモクセイを筆頭に、ツツジ、パンジーアサガオ、といった花々、何かの記念日に貰ってきてそのまま野放図に生えているカーネーション胡蝶蘭、そしてどの家にもあったのがネギでした。よく節約術で紹介されている、買ってきたネギの根本を土に植えておくと新しく生えてくる、というやつです。ネギとシソは、どの家でもいい加減にトロ箱に植えられて、いつでもだいたい生えていました。自分の家のネギの調子が悪ければ、隣の家に一声かけてもらってくる、というのが日常でした。

 

そんな植物たちの置き場所は、家の前だけにとどまりません。家の周囲を囲む塀の外側はもちろんのこと、家のそばにガードレールがあればその足元に、家の前の道路の向かい側がただのフェンスであればその足元とフェンス自体にも、といった具合に、植木鉢やプランター、トロ箱の置き場所を増やしていっていました。土のある庭はどの家にもほとんどなかったので、自分の持っている土の面積をどうにか増やそうとしてせめぎあっているようでした。ただその瞬間に手にしていた容器に手近な植物を入れて空いた空間に並べてみた、といった統一感のなさが、地域一帯を覆っていました。

 

それでも、そのいい加減な植栽のありようは、小学生の自分にとってはとても魅力的でした。ネギの先でふくらんだネギ坊主を指でつまんで破裂させたり、パンジーの花の裏にある蜜袋を摘んで中の蜜をなめたり、ホウセンカの種をはじけさせたり、悪さばかりしていましたが、それが楽しかったです。知らない家に近づいて、外飼いされている犬に時々吠え付かれるのもまたスリルでした。

 

実家から出て暮らした先は雪国だったので、除雪の邪魔になるものは家の外に置かれていません。また、広い庭を持っている家も多かったので、あえて外に植物を出すこともなかったようです。今住んでいる辺りでは家の周りに塀がめぐらされていて、コンクリート張りの駐車スペースの奥に植木鉢がぽつぽつと置かれている家がほとんどです。家の周囲を植物で実効支配しようとする動きは、多分ご近所迷惑のひとことで片付けられてしまうのだと思います。

 

時折実家に帰ると、いまだに野放図に勢力争いをしている、おしゃれとは程遠い植栽のありように安らぎを感じます。長い時間をかけて醸成されてきたなぁなぁの雰囲気が、そこにあるような気がします。

 

お題「地元では当たり前のものなのに、実は全国区ではなかったものってありますか?」