かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

意外と面白い現代アートの世界

東京・六本木の森美術館で開かれていた展覧会、『ワールド・クラスルーム』に行ってきました。NHKのイベントでこの美術館の館長の講演を聞いたのがきっかけです。一部の現代美術を除いて、現代アートとはかかわりが薄く過ごしてきました。ですが、足を運んでみて良かったです。

www.mori.art.museum

 

現代アートの国語・算数・理科・社会、と題されているこの展覧会では、森美術館の収蔵品を学校の科目に当てはめて展示しています。見たことのない表現が随所にあって、はっとさせられることが多かったです。なかでも良いなと思ったのが、消滅しつつある言語を集めた録音作品と、常温で昇華して消えてゆく素材で作った靴の彫刻です。

 

現在、地球上の数千の言語が消滅しつつあるといわれています。グローバル化が進み、英語のような話者の多い言語を話すほうが有利だから、など様々な理由があるようです。言葉は、それを使う人がいなくなると消えてしまいます。とくに音声は目に見えないので、話者がいないことは存在が無になることを意味します。この展示では、それらの言語の音声を目に見えるスペクトログラム(グラフの一種)という形態にして、その映像を音声とともに、小さな部屋の中で映画のように延々と流しています。意味を全く理解できない言葉の中に身を置いていると、なぜか安心感に包まれます。

 

常温で昇華する素材(ナフタリン)で作った靴は、その儚さが印象に残っています。ガラスケースで密封された中に置かれた靴は、素材の昇華とともに徐々に形を失っていきます。同時に、ガラスケースの内側には、美しいナフタリンの結晶が無数に形作られてゆきます。時間とともに実体は失われても記憶は残っていく、と伝えたいかのようです。

 

今回の展覧会を見て、現代アートの楽しみ方が少しわかった気がしました。何かに課題意識を持った作者がその対象を『どのように』表現するかを味わい、そしてその表現を通じて作者と課題を共有する、その過程そのものを味わえばいいのだと気づいたのです。もちろん、作者とは背景が異なる以上、その課題を完全に理解することはできません。ですが、抽象化して表現された作品を通じて何かがわかった気がするとき、その作者と同じ世界を見て、何かを受け取ることができているように思えます。それこそが現代アートの目指すところなのかもしれないと感じました。

 

美術館といえばついつい分かりやすく美しいものに心惹かれてしまうのですが、時には違う世界のものを見に行くことも有意義だなと感じた週末でした。