かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

盛り合わせと信頼感

外食のさいに、盛り合わせをあまり頼まなくなりました。以前はお刺身や焼き鳥、てんぷらなど、色々な種類の盛り合わせを「とりあえず」で頼んでいました。それがあまりなくなったような気がします。

 

一番大きい理由は、大人数での食事をほとんどしなくなったことです。そこまで親しくない沢山の人と席を共にしているときは、ひとまず誰の好みにも合わせられるように考えて盛り合わせを何品か頼んでいました。でもコロナ禍を経て、互いの好みを知らない段階の知り合いと食事をすることは少なくなりました。すると、お互い好きなものを好きなだけ頼むほうが、かえって都合がいいのです。これは少し寂しいことだなと思います。

 

また、自分自身の食が細くなっているせいもあります。少しずつ沢山の種類を食べているうちに、もういいと思う瞬間があらわれるのです。特に油ものやこってりした料理だと、いろいろな種類が皿に盛られているのを見ただけでなんだか胃もたれするのです。いつか唐揚げをお腹いっぱいに食べてやる、と思っていた幼いころの私はもうどこにもいません。小さいお皿にすこしだけ、という歳に差し掛かりつつあるのかもしれません。

 

そして最後に、自分の食べたいもの以外のものが盛り合わせに入っていると、とてもがっかりするようになったのです。品数の帳尻合わせで入れられたのかな、と思わせる食材を見るともの悲しくなります。盛り合わせだと何となく単品よりお得な気がしていましたが、結局のところ本当に食べたいものだけを食べている方が幸せなのです。コスパなんて、満足感の前ではどうでもいいことです。なので、近頃では好きなものだけを一皿ずつ頼むようになってきました。

 

ただ一軒だけ、いまでも盛り合わせを頼んでしまう店があります。近所の寿司居酒屋です。ここの刺身盛り合わせは、いつ頼んでも素晴らしいのです。脂のさっぱりしたマグロに始まり、大将がおすすめする旬の魚が少しずつ数品並びます。食べたいだけの量がぴったり入っていて、どんな種類の魚でもいつ食べても外れと感じたことがありません。時々知らない魚に出会えてとても嬉しくなります。

 

結局のところ、盛り合わせを頼めるかどうかはその店との信頼関係によるのかもしれません。あるいは、店に対する自分の心の開きようを現わしているのかもしれません。料理を頼むというただ一つをとっても、そこには何かしらの表現が含まれているものですね。

 

今週のお題「盛り」