かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

過ぎた日の輝きが今の自分を照らしてくれる

少し前まで、イタリアに住んでいました。いわゆるローマ(スペイン階段やコロッセオのある地域)から車で1時間ほど走ったあたりです。家の近くには放牧地があり、ときどき羊の群れが幹線道路を渡って移動していくのが見えました。

 

ある程度は英語が通じて日常生活はこまらないだろう、とたかをくくっていたら、思った以上に英語は通じませんでした。ちょうど、日本の一般的な田舎くらいの英語の浸透度をイメージしてもらえたら近いと思います。何をするにもスマホで翻訳アプリをつかって切れ切れの会話をしていると、自分がとても子供じみた存在に感じました。そこで、気合を入れてイタリア語を身に着けることにし、一日に数時間ずつ勉強しました。

 

言葉が分かるようになると、住んでいる地域の解像度がぐっと上がりました。魚屋で今日のおすすめを聞いて、初めて見た種類の新鮮な魚をおいしい調理法で食べる、肉屋でハムをいくつか切ってもらい、おまけで小さいハンバーグをもらう、住んでいるアパートの掃除のおばさんと今日の天気について話す、そんな小さい積み重ねが、この町で生きているという実感を与えてくれました。

 

ある日、バングラデシュからの移民がひらいた八百屋が近所にでき、何度か通ううちに店主と仲良くなりました。いまイタリア語を勉強している、というと、「近所の小学校で無料でイタリア語教室をしているのを知っているか」と尋ねられました。彼自身がそこで勉強していたそうでした。場所を聞いて行ってみると、たしかにその張り紙がありました。移民向けに実施している事業で、退職後の学校の先生がボランティアで毎週教えてくれるそうです。早速、そのクラスに通うことにしました。

 

授業は先生一人に対して生徒が10数名、クラスメイトはインド、バングラデシュポーランドコソボなどからの移民で、始業前はいろいろな国の言葉が飛び交ってとても賑やかでした。先生は優しい白髪のおじいさんで、授業はすべてイタリア語で進みました。イタリア語が分からないのにイタリア語で教わるのか、と思いましたが、生徒側の言語がまちまちなので、これが一番合理的なのかもしれないと納得しました。とはいえ、基礎からかなりしっかり進めてくれるので、かなりわかりやすい授業でした。いまでもクラスメイトとは連絡をとりあっています。

 

またある日、近所のバール(カフェ)でエスプレッソを飲んでいると、その店のオーナーから「こんな晴れた日に店の中にいてはいけない、海にいきなさい」と言われました。店の前を走るバスは、海までの路線でした。初めて乗ったバスはでこぼこで、一部の座席が壊れていて窓も外が見えないくらい曇っていたのですが、乗った先についた海は太陽の光を浴びてきらきらと輝いていて、こんなに美しい場所があるのかと思わせてくれました。

 

生活するうえでは決して楽ではなく、いつもちょっとした問題(本当に驚くほど問題だらけ)を抱えていたイタリア生活でした。でも振り返ると、あの日の海の輝きのようにきらきらとしたものが毎日をいろどっていて、生きているという実感が持てた日々でもありました。

 

書く習慣1か月チャレンジ、今日は「これまでで一番チャレンジしたこと」でした。一番のチャレンジというほど大きいものではないですが、毎日少しずつ小さい壁を乗り越えていった日々であったなぁと思います。そういえばこのころに村上春樹の「遠い太鼓」というエッセイを再読し、氏の30年ほどまえのローマ暮らしでの苦労を読んで、全く変わってませんよと苦笑したことを覚えています。