かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

想像力と人とのつながり

人と話すとき、相手が出した言葉の背後になにがあるのかを想像しながら話を聞くようにしています。その日の気分、直前におこった出来事、その人のこれまでの発言、出身地や国籍、人種、などです。同じ言葉でも背後にあるものが違うと捉え方が変わるからです。自分が言葉を出すときは、一度頭の中で文章を点検して、自分で違和感を感じるところや相手から変に受け取られるところがないようにしてから口に出すようにしています。疲れるときもありますが、習慣になってしまえばさほど大変ではありません。

 

小学校のころに、在日コリアンの多い地域に住んでいました。各クラスに1~2人、韓国風の姓名の子がいて、文化交流として給食にトッポッキがでたり、韓国の伝統楽器を演奏する部活があったりする小学校に通っていました。とくに摩擦があるわけでもなく、違いも意識することなく学校生活を過ごしていました。

 

冬休み前のある日の休み時間、田舎はどこなのか、お正月はどう過ごすかという話題で盛り上がっていた時です。私が在日コリアンのクラスメートに「韓国に帰るの?」と何気なく聞きました。その場は特に何もなく過ぎたのですが、放課後に担任の先生に呼ばれました。クラスメートの彼が、あのとき韓国に帰れと言われたように感じてとても傷ついたようだ、と告げられた時に、とてもショックでした。そんなつもりはない、変に意識しすぎだ、と反射的に思ってしまい、謝ることもせずに、卒業後は彼と会うこともありませんでした。ただ、その出来事は折に触れて記憶からとりだして、あのときなぜそんな反応をさせてしまったのか、どの言葉を選べばよかったのか、考えていました。言葉に注意深くなったのは、この出来事がきっかけだったと思います。

 

大きくなってからの一時期、いわゆるヘイトスピーチの激しい場所に住んでいました。人が人に向ける悪意の大きさを目にして、こんな悪意の一部を彼は小さい時からうけていたのか、自分もそのうちの一人と思われていたのかもしれない、そう実感しました。そして初めて、あの日の出来事の意味が分かったような気がしました。

 

自分が不用意に人を傷つけることがある、さらには傷つけたことすら認識していないこともある。それを小さいころに身をもって知ることができて良かったと思います。

 

書く習慣1か月チャレンジ、今日は「人付き合いで一番大切にしていること」をテーマに書きました。京都大学でゴリラを研究している山極壽一さんという方が、「ヒトと動物を分けるのは想像力の有無である」と言っていました。ヒトは想像力があるがゆえに他者を恐怖して時には戦争に至る、一方で、想像力にめぐまれたために社会性を発達させて現在の社会を生み出すことができた、という趣旨だったと思います。ヒトとして恵まれた能力を生かして生きていきたいと思います。