かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

家族と他人は何が違うのだろう

私は4人兄弟の上から2番目として育ちました。実家は狭く、自分の部屋を持つどころか全員が一つの部屋で暮らしているような状態でした。小さいころはそれでも気にならなかったのですが、全員が大きくなってくるとどんどん窮屈になり、ちょっとしたことでいがみ合うようになりました。毎日お互いの動きに苛々していて、少し手や足が触れ合っただけで喧嘩になることもしょっちゅうでした。実家に暮らしていたころは早く家を出たい、自分の部屋が欲しいとの思いでいっぱいでした。気が合うかどうかは問題ではなく、物理的に限界だったのだと思います。

 

兄が一足先に実家を出て私もそれに続き、さらに同居していた祖母が亡くなると、家はずいぶんと広くなったようです。18歳で家を出ろという教育方針を聞かされて育った割に弟2人は家に住み続け、社会人になってようやく一人暮らしを始めたと聞きました。

 

あまりにぎゅうぎゅう詰めの18年を送ったあと、その反動のように兄弟とは全く連絡を取らなくなりました。声を聞くのは1年に1度あるかないか、それも「あぁ」「うぅ」などの単語にならない音ばかりです。顔もうろ覚えで、町ですれ違っても気づかないかもしれません。弟のうちの一人などは、両親ともほぼ音信普通のようです。まあそれでも、悪い話は聞かないので特に問題なくやっているのだと思います。

 

両親はともに超個人主義で、自分たちは死ぬまで子供の世話にはならない、と常々言っています。互いに、自分の親の介護で大変な思いをしていたので、子供の代にはそれを引き継ぎたくないのかもしれません。それが貫ければお互いのためにいいように思いますし、もしそうなれば、今後も兄弟間の不干渉は続きそうです。なにか連絡を取り合うことが必要になったら、そのときは大人同士としてうまくやっていけたらいいなと思います。

 

私の家系は某芸能人と親戚関係のようで、一度NHKの「ファミリーヒストリー(芸能人の血縁関係を掘り下げるバラエティ番組)」の取材を受けたことがあります。あまり深堀りできる面白い話がなかったせいかテレビに出ることはありませんでしたが、赤の他人の取材陣のほうが我が家の血縁関係に興味を持っている、というのは不思議な感覚でした。遺伝子の共有や自分のルーツを重要視する感覚が自分の中にあまりにも無くて、ときどきこれでいいのかなと思うこともあります。とはいえ多くの動物はそこまで血縁関係を重視していないしな、と、開き直って自分の中でその話を終わらせるのです。

 

お題「兄弟姉妹のここにイラッ」