かもさんのひそひそ話

耳をすませば聞こえてくるよ

手が届かないものに、手を伸ばし続けたい

おはようございます。かもさんです。書く習慣チャレンジ3日目、今日は「今一番やりたいこと」がテーマです。

 

このテーマについて考えたとき、まっさきに頭にうかんだのが「特にやりたいことはないなぁ」でした。やりたいことは、だいたいやってしまっているからです。

何かしたいことがあれば、すればいい。ほしいものがあれば、手に入れ方を考える。できなければ、できるようになればいい。どうしてもだめなら諦める。そうやって過ごして来ました。そうすると、改めてやりたいことを問われたときにパッとでてくるのが「特にありません。」という答えになってしまうのです。

 

ちょっと話がそれますが、最近の若者の無気力、として語られるものの一端が、こういったメンタリティなのかもしれません。とはいえ、当事者としてはこれは無気力ではなくて、ちょっとした充足した気分のように感じます。

 

話を戻します。

とはいえ、この「やりたいこと」のテーマをもう少し広げた視点で考えようと思います。

さきほど、「どうしてもだめなら諦める」と書きました。それでも諦められないもの、ダメかもしれないと思いながらも追いかけてしまうものが、大きな意味での「やりたいこと」なのかもしれません。自分にとってはそれが研究で何かを発見すること、になります(諸事情でぼやかした表現ですみません)。

 

すこし昔の話です。北国の大学で博士課程を過ごしていました。研究結果が全然出ないことにおびえ、リーマンショック高学歴ワーキングプア年越し派遣村、という話題が生々しかったころ)の話題に押しつぶされながら、実験を繰り返していました。毎日の動ける時間と体力と精神力のすべてを研究に捧げて、それでも何もめぼしいデータはなく、研究がだんだん作業のようになってきてもいました。

そんなある日、見た目がわずかに他と違う検体をみつけました。期待しないようにと自分に言い聞かせながら数日かけて前処理をして、分析をかけました。期待して裏切られて、は、日常の出来事だったのです。でもやはり気になって装置のモニターを見ていると、当時は絶対にできないと言われていた物質を示すピークが、画面上で表示され始めているところでした。そこからの数10秒、明らかにその物質とわかるまでの時間は、本当にかけがえのない時間として記憶に残っています。もし研究に神様がいるなら、その神様が少しだけベールを上げて微笑んでくれた、そんな気持ちがしました。

その後、いくつかの幸運に恵まれて、博士課程修了後にも研究職としての仕事をつづけています。当時とはテーマが大きく変わったものの、もう一度、神様に微笑んでほしい、そんな気持ちは今も消えずに私を動かしています。

 

私にとっての「やりたいこと」は、手を伸ばしても届かないかもしれないその場所に、ずっと手を伸ばし続けることなのだと思います。